底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

子供を殴り殺す親は底辺層の人間よりも人間的に立派だと思う

ども。底辺くん。

最近赤ん坊や幼児を虐待して殺害してしまう親のニュースが絶えない。その度にそういった親を非難する内容を見る事がある。中には「死ね」レベルの誹謗中傷まである。

ただ、底辺層にいる私からすると、子供を生む、という関係性を他人と作る事が出来た、というだけで人間的に私よりも数段立派だ、と思うのだ。家族は一番小さな社会ともいう。底辺で孤独な人間は最小の社会からも見放されているからだ。

何度も言っているが、人間は誰しも1割程の反社会的行動をする。その行為の広がり、深さがその人の社会的立場によって変わるだけだ。1割を超えてくると犯罪行為に近くなる。その差は物凄く大きいものだが、逆に言えば誰もが摘発されない犯罪行為をしている、とも言える。

そうなると、人間として面でとらえた時に、摘発されない犯罪行為を犯しているが、誰からも愛されず、社会になんら貢献しない、孤独な無職中年と、犯罪として摘発されてしまったが、他人から愛されて子供を生み、家族を作った人。犯罪という点だけで見ればそりゃ、子供を虐待死させた親は悪く見えるかもしれない。ただ、人間という面で見ればどうだろうか。私よりも余程魅力的な人間であり、人から愛される存在に違いないのだ。だから他人と結婚出来るのだ。

 

とかく人は他人を点を見がちである。私もそうだ。しかし人生を長く生きてくると如何にその汚点と思っている部分が小さい事であるか、というのがわかってくる。なぜなら、腰の曲がった老人が仲良く歩いている姿を見る時、夫婦揃って社会的マナーがなっていない事が多い。つまり、彼らは自分中心、所謂サイコパス状態であってもそれは犯罪にならない範囲内であって、大事な事はお互いを必要とする存在がいる、という事であり、人生を孤独に過ごしているわけではないからだ。

これは人間としての進化だと思う。社会に迷惑をかける事など意に介さず、孤独ではない人生を歩む事が出来る人間性を磨き、他人を魅了する。なんという事だろう。

 

なので、幼児を殺害してしまった親のニュースを見る度に私は、なんと進化した人間なのだろう、と感嘆してしまうのだ。そして他人に愛されるその人格に敬意を払うのだ。