底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

今日はくだらない事をぐだぐだと。ドラマ・デスノートについて

初回視聴率は良かったようだ。それだけ原作も人気があり、映画、アニメもヒットした作品だけに、注目が集まったのだろう。この初回視聴率と話題性だけでもこのドラマはヒットしたといってもいいのではないだろうか。

さて、ネットでは大ブーイングの本作。人気のあった原作の設定を変えてしまった事が原因にある。主な反感をかっている主な内容は以下の通り。

 

夜神月がドルオタで居酒屋でバイトしている、何の変哲も無い大学生

・Lが健康ヲタクっぽい潔癖症な感じ

ミサミサ戸田恵梨香版と比べて劣化

 

ミサミサについては仕方が無い。今の時代、テレビに出演する為の枠は限られており、その狭い枠の中に最近は目立って権力者の子供等の関係者がキャラクターを付けてコネで出てくるのだ。そのコネ出演が一番多い(発信源)がNTV。その中での配役に文句はちょっと厳しいと思う。個人の趣味嗜好もあるだろし。

問題は夜神月とLだろう。

まず、夜神月。彼のキャラが変える事自体は創作物なので問題は無い。問題なのはデスノートを使う必然性なのだ。ここに作品、「デスノート」のキモがある。

原作の夜神月は秀才だった。周りからもそう見られており、本人もそれを演じていた。しかし、それは彼の本当の顔ではなく、そういう自分に騙される世間をバカにしていた。そんな世界を粛清したいと思う。なぜなら、自分以外はみんなバカ、と思っているからだ。そこにデスノート。人の死を左右出来る自分はまるで神になったかのように思えた。

この原作は特にネット世代には刺さる主人公なのだ。なぜなら、ネットでわざわざ人の目に触れる場所でコメントする、認知欲求を満たしたい人にはこういったタイプが多いからだ。マスゴミ、と罵りながら、その情報がマスコミからだったり。でもそんな自分を認めて欲しい。そういった歪んだ正義感の人間は日本には溢れている。こういった人達には夜神月はまさに自己投影出来るヒーローであり、この作品をより身近なモノとして楽しめる大切なキャラだったのだ。

そんなダーク・ヒーローにも作品としてライバルは必要。しかも自分と同程度の頭のレベル、とまず思わせる事が大事。なぜなら、自分の事は神、自分が考えている事、している事は正しいと思っているからだ。ココらへんはまさにネットで誹謗中傷や、何かある度に中国が、韓国が、と騒いでいる人と同じ。自分が吐く事は正しく正義。そんな自分と対等であると認める人間のみが、自分と語っていい。これは現実でいえば、ネットでは暴君、リアルでは極度のヲタク性をもってコミュニティを作りたがる(もしくは所属したがる)、ツイッター等で毎日ハッシュタグで番組に参加したがる等、自らが選択する人達、思想以外は排除、もしくは見下げるような現代の若者、中年と考え方が似ているわけだ。なので、Lは夜神月と同じくらいの天才性が必要。

そこで登場したのが原作のLなのだが、このキャラが面白い。夜神月とはまったく違う天才性であり、わざと対局にいた。社交的に反して内向的。健康面にも一切気を使う事無く、お菓子を食べまくる。しかし、頭脳明晰。そういう真逆性こそが大切な要素でもあった。

 

では、今回のドラマはどうだろうか。過不足無い生活が出来ればそれでいい、という行き方をしたいと思っている現代っ子の夜神月。それはそれでいい。創作物だ。問題は、そんな平凡な人間が大量殺人を行う心変わりだ。デスノートを手に入れた直後までの彼のキャラクターを考えると、自分の殺人の罪を考えて自殺しようと試みたぐらいの人間性だった。2度めの殺人も親を救う為だった。ここまでの彼のキャラは、自分に関係する人、(友人、家族)以外には無関心。まさに今の日本人の象徴であった。

 

ここまではなるほど、と思ってい見ていた。去年の衆院選では騒がなかったくせに、いざ安保法案が変わるとなると騒ぐ人達とそれを嘲笑する人達、ずっと無関心な人達。私からすれば全員無関心であり、無責任。こういった日本人を象徴する夜神月がなぜデスノートで大量殺人をしようと思ったのか。さて、どういう脚本が用意されているのか・・・。

 

無かった。その過程が描かれていないのだ。無責任無関心なキャラの夜神月がいきなり大量の殺人をしていた。人を死に追いやった事を悔やんでいた人間が、だ。で、ネットの書き込みでキラとしての役割を煽られ、その気になる。まあ、ここはドローン少年のようなモノで、小物感が出ている。こういった小物だからこそ、だ。なぜ大量殺人をしようとしたのか、その決断の過程を丁寧に描くべきだったのだ。

前半と後半での小物感を考えると、重大犯罪者だけを殺していくような人間には思えない。彼のような人間性と今の時代のネット、仲間内弁慶視聴者を考えると、むしろ自分が嫌いなタレント、ネットの炎上を起こす人、ユーチューバー等、自分が気に入らない人間を殺していくように思えた。むしろその方がしっくりくる。現代の日本人のように自分本位な人間性なのだから。原作の夜神月のように、社会正義を考えるような人間性というか知性が無いわけだから。

そんな違和感の中、Lが登場する。対比として、今回の夜神月が俗物だから、クリーンがイメージで食事も効率重視なチューブ型。対比としてはいいだろう。問題はそんなLからの先制攻撃からの反応だ。

そもそも俗物で秀才でも無い小物の一般人、新ドラマ版、夜神月。あんな計算され尽くした攻撃をされたら、ビクビクして逃げそうなモノだ。なぜなら、彼はデスノートを持っているだけで、自分の戦略性、戦術性が人より長けている、と意識している部分など一切無かったからだ。それはデスノートで人を殺せる、とはわけが違う話であり、日本で一般人が実弾入りの拳銃を拾った所でどうしようもない、と同じ事。誰かを殺したいと思っても捕まりたくない。その相手がとんでもない探偵だとわかったら、まず怖い、と思うのが小物としての発想だと思う。

しかし、新ドラマ版夜神月は立ち向かおうとする。ここに性格の一貫性が破綻してしまい、視聴者の感情移入を妨げ、客観的に作品を見るような立場に置いてけぼりにしてしまった。前半までの性格を考えれば、逃げまわる事に必至になるはずだ。

 窪田正孝が演技が上手いだけに、序盤の小物から自分が神のような気持になる、所謂人気生主、稼いでいるユーチューバーのような、ドヤ顔になる過程を楽しみたかった。その方が多分、今の視聴者にはハマると思った。

 

少年ジャンプの原作では中高生~若年層をターゲットにしていたので、「自分は特別な人間である」という中二病的な部分がシンプルでわかりやすかった。そして、それが実際にそう思っているが表には出さす、ゆえに多様性を認めようとしない日本人気質にマッチした。それがデスノートだった。

この新ドラマは多分放送前にすべて撮り終えているパターンではなく、修正がきくはずだ。原作の通りにしないでいいので、今後はデスノートという武器を中心にせず、夜神月の人間性を丁寧に描いて、視聴者の共感性を得て欲しいものだ。