底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

新国立競技場問題について、キレイ事の正論を言っている人が多くて笑える件

事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)が工費は、基本設計時の1625億円から約900億円も増え、2520億円。しかし、この金額には様々なあと設置もあり、更に膨らむとの事。東京五輪パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が会長を務める、ラグビーワールドカップに間に合わせるため、大手ゼネコンと契約して19年5月に完成させる。年間の維持費は修繕費も含め、60億程になるという。月間5億。これ以上かかる、という試算もある。完全に赤字事業だ。また、財源として国費、JAC基金に、スポーツ振興くじの一部をあてるという。TOTOはその名の通り、スポーツ振興にあてるものであって、建設費に使うものではない。なお、未だ財源が不明確な部分もある。東京都は500億以上出すことになるのか?

 

さて、ここまで報道されると、有識者的な人やマスメディアに出演しているような人達がいきなり色々言い出した。大体、以下のようだ。

・こんな予算が膨らむデザインを変えるべきだ

・「負の遺産」として、将来世代にツケを回すのはありえない

 

何を言っているのだろうか。キレイ事の正論を言って、何か変わるのだろうか。むしろ、何も考えていない視聴者に絶望を与えるだけだ。東京でオリンピックをやろう、と言い出した時からこうなる事はわかっていたのだから。

・東京でオリンピックはしたい。でも、コストを抑えて、みんなが幸せに。

近代日本が、建築が関わる事で金を湯水のように使って、将来世代にツケを回さなかった事が逆にあっただろうか。無いのだ。いつの時代も、日本の為政者はそうやって金を使ってきた。しかし、国民は反抗しない。そんなレベルの国がオリンピックをやりたい、と言い出した。さすがにヤバイ額が動く。そんな危機感が国民に無さ過ぎただけなのだ。今の安保、憲法問題と一緒。去年の衆院選で既に問題にも上がっていたのに、国民はアベノミクスの事だけで他は無関心。選挙にさえも行かない。そして、いざ本当に改変しようとなったら慌てて騒ぎ始める。そんな世論を受ける事で仕事をもらっている輩は、もちろん総選挙前にこうなる事などわかっていても、リーダーとして責任を負いたくないから、黙っている。

 

新国立競技場もやっと金額やずさんなやり方が明るみに出てから国民もマスメディアも騒ぎ始める。もっと前からこうなる事はわかっていたのに。ラグビーワールドカップの為に期限が切られ、わざと遅くしている事もマスメディアに出ている有識者はほぼ知っている。しかし、今までほとんどダンマリ。そうして、工事しないと間に合わない時期になってこの金額発表で見直しが間に合わないようにしたわけだ。で、ここにきて見かけ上、ブーブー言っていればマスメディアとして立場が保たれる。

 

もし、将来の世代に負の遺産を残したくないのであれば

・日本の箱物と政治家の歴史を考えたら、東京オリンピックなどはじめからありえない

・オリンピックをやるのであれば、徹底的に政治家をチェック

 

ぐらいは国民の責任ではあるのだが、どれも出来ていない。むしろしないからこそ、いつまでも森喜朗のような政治家が権力を持ち続けるのだ。

 

財源はどこだ、負の遺産だ、デザインがどうだ。そんな事を言う前に、無関心で無責任な日本国民の体質を考え、自らを責めるべきだ。

この情報化社会にこれだけいいように為政者にやられる国民。これだけバカにされている国民。それを許している自分達を責めるべきだ。マスメディアで報じられた時点ですべてシナリオは決まっている。

選挙で政治家は選べる。投票率が50%を超え、反対票を入れれば確実に旧~現代の権力者を覆せる。まずはそこから。

 

とここまで書いて思うのだが、なぜ日本人はこうまで無関心で無責任なのだろう。この事は戦前から変わっていない性質らしい。なぜだろう。