底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

はるかぜちゃんが「芸能人卒業宣言」でふっと思う事

彼女がツイをやっている頃、リプは酷いものが多かった。そもそも彼女がつぶやいている事と関係無い誹謗中傷が多すぎた。特に年齢に関係する「子供のくせに・・・」「学校いっているのか」などが多かった気がする。もちろん、そんな事をわざわざする匿名の大人達は社会で言えばそれなりに底辺層に近い教養の人達である事は間違いないのだが、ただ、だからといってそういった人達が年収が低いか、世の中で言われているような人並みの幸せを得ていないか、となるとまた別の話になる。雇用者が少数でも立派に会社経営をしているベンチャー社長であっても、こういった決めつけで人を見下して人格否定をする人などざらにいる。もちろん、大企業のサラリーマンで年収が2000万を越えている人でも、だ。だからこそ、あえて「教養」という言葉を使った。また、普通に結婚して子供もいる人達だって少なくない。

 

そうなのだ。当時小学、中学生に対して匿名で人格攻撃をするような人柄の人達が普通に結婚して一戸建てに住み、子供を育てている場合だってあるのだ。もっとキワぎりぎりまで言ってみると、ちゃんと他人と愛しあう事が出来て子供が生まれ。たまたま子供が虐待死する事があった時、その親は犯罪者になるが、そのギリ、子供が死なない場合を考えたらどれだけの子供達が愛されずに育てられているか。しかし、そんな人達でもしっかり他人に愛される人格は備えていた、と考えたら孤独で孤立しているような人達よりもまだ社会を構成しているとも言える。そうなると、理想的自己を保ってくだらない事をしないとしても、孤立で孤独な人は社会で生きている限り、もはや社会には何の役にも意味も無い、単純な生物であり、生きている意味も無い。であれば、少なくとも年少者に誹謗中傷を浴びせようとも、社会の中で生きている人間の方が社会としては役に立つ生物ではあるのだ。だからこそ、人間はその一点で否定は出来ず、逆を言えば、どんなに人格的に最低な人間であっても、社会影響力が強い人間はそれなりに価値があり、実際に活躍や持ち上げられているのだ。

 

匿名で誹謗中傷や人格否定をする人達はその点だけではぞっとする人間性だが、だからといって、その人達がいて成り立つ社会が多く存在する(家族、子供、友人、恋人等)。となればそういった人達も含めて人間社会であり、それこそが現実であって、理想的な正論をいくら述べても意味がない事であって、それはまるでゲームの世界。そして社会に生きている限り、匿名で誹謗中傷もせず、誰も傷つけていなくても自分もその仲間であり一因でもあるのだ。もしそういった事が無いとしたら、それは社会に生きていない、活きていないのであり、孤立した状態であり、もはや人間である必要も無いのかもしれない。孤独に苛まれて自己顕示欲を満たす為にツイで「腹減ったー」「今着いた」とか芸能人でもしないような自分の行動を細かくつぶやくような事になっている人は注意が必要だと思われる。

 

こんな、昔はるかぜちゃんのリプを見ていた時に思った事をふと思い出した。