底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

過労で自殺するぐらいなら会社辞めれば?に対する反論がちょっと話題なった件

ちょっと人間の精神に見識がある人であれば、過労の末に自殺を選ぶ人に心理はわかりものであり、そこに「自殺するぐらいなら辞めればいいのに」なんて言えるものではない。それがなぜか、というのは多くの人が説明してくれているのでここでは省略して、今回問題にしたいのは、そういった自殺に追い込まれる人がなぜか、という説明があっても、まだ「それでも辞めろ、と言わせてもらう」という人がまだいること。これは学校でいじめにあったら「学校に行かなくてもいいんだよ」発言をする人と似ていようでちょっと違う。

 

まず、現実を直視して受け止め、そして分析して解を出す。そういう当たり前の工程が出来てない。というも、既に自殺してしまっているからだ。その現実に対して、「辞めればいいのに」は選択肢として選ばれなかった、という事。その事実がどうして起きたのか。これが問題を解決する能力であり、心理学を勉強していなくても、共感能力の無いちょっと低レベルの人間性であっても関係無いのだ。

そうなると、未だに「辞めればいいのに」発言をする人は

①幅広い人間の心理に疎い

②共感能力がない

③問題解決能力がない

人になる。それはつまり一般社会生活でかなりの問題児の可能性が湧いてくる。では果たしてそうだろうか。

実はこの発言をする人で誰もが知っている一流会社の社員、ベンチャー企業創業者を知っている。もちろん、同時に社会の最下層労働者も知っている。つまり、①~③すべてを兼ね備えて、社会の最下層にいる人達は最も想像しやすいが、社会的に成功している人の中にもザラにこうした人がいるという事実。実際、電通ほどの入社が難しい一流会社でも過労死が起きるということは、それを生む土壌があるという事にもなる。しかし、電通社員が①~③を備えていない、とは思えないし、実際に私が仕事をした事がある電通社員はもちろん、問題のある人もいるが概ね仕事面では優秀な人が多かった。

 

これは近年では「サイコパス性」といわれるところで、犯罪者としての完全なサイコパスではなく、一般人よりもある部分でサイコパス性を持っている人の方が社会では成功しやすいのだ。そのバイアスが自殺の回避行動=辞任しか思いつかない結果になってしまうのだ。なぜなら自分がそう出来るし、それ以外の選択肢を取る人間の存在を考える事が出来ないからだ(だからこそ、知らない内に加害者になっている事も多い)。こういった人達は年収もいいので、都内一等地に家を持ち、美人の妻と子供は私立というパターンも多い。所謂日本社会の成功者だ。

 

ネット上だけだと、いかにも生きている社会の狭い、低階層の人達が暴言を吐いているように思える。しかし、現実はそうではない。社会上流と下流が発想の根本は違う(サイコパス性によるバイアスと単純に見識が狭い人間性等)のに、表面は同じ表現になってしまう。これが日本の労働環境だけにとどまらず、あらゆる社会環境が改善しにくい世論を形成してしまう根深い問題点であると思う。為政者側に対抗するべき弱者が表面上同じ事をしてしまうわけだから。いわゆる、更に弱者を叩く、という奴だ。もしくは無視。

 

日本独特かと思えば実はそうでもない。人間とは元々そういう卑近で卑劣な存在なのかもしれない。そう考えて準備をしてもそれを上回る事が生まれるから厄介であるが、それが人間という存在のいい方でも悪い方でも創造性溢れる所。

 

強さを手に入れ、強くあり続ける為には何が出来るのか。一生自分に問い続けて努力を続ける事でしかこの人間社会の負の連鎖から逃れる手段は無いのかもしれない。