底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

地獄少女で考えた事

結構ピンポイントで見たら人というよりも獣のような人間たちの多くが地獄に流された。そういった人が生きている事で今後多くの人が傷つく、というのがエクスキューズだ。
だからといって地獄に落としていいのだろうか。

過去、元ヤンキーの芸人達が何かする、的な番組があった。
私はおかしいと思っていた。彼らが若い時に何人の人が苦しい思いをしたというのか。未だに苦しんでいる人もいるかもしれない。それが元ヤンキー、その仲間。絆。そんなのは美談でもなんでも無い、と思っていた。

今の世の中のマナー、モラルは全て現社会のバイアスであり、法律は社会秩序を保つため。
しかし、それらを犯して、弱者を苦しめても上記の芸能人のようにチヤホヤされる人達もいて、またおかしな事に、ヤンキー、悪、がかっこいい、という風潮さえある。だから若い女性を掴むためにLDHは所属タレントにヤンキー役をやらせている。

例えば海外映画などは粋がっている悪は最後には痛い思いをする事が多くなっている。それは主演のラッパーが実際に射殺されたりして、悪をカッコよく描く事による社会の影響を制作側がしっかり責任として考えているからだ。

日本の女性はそんな事は関係無い、考えない、という事なのだろう。そんな人達に向けて商売をする人達に社会の責任を追わせるのもおかしい。だって、その社会こと、カッコいい悪をチヤホヤする人達なのだから。

 

であれば、作品内でのあのような所業の人達を許すのが筋という事になる。目の前で苦しむ弱者を救った事がある人はどれだけいるだろうか。マジョリティーがそういった人達なら社会にいじめなどなくなるはずなのだ。しかし、未だにそれらがなくならないということは。

 

業の深さは所業として行う人達だけじゃない。それらを見過ごしたり、見てみないふりをしている人達、そして悪をかっこいいとしている社会全体の責任だと思う。

 

ま、アニメでここまで考える必要はないのかな。