底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

ドラマ「乱反射」から、再度考える事

小さな悪意やモラルの無さが社会全体を変えていく。

これはこのブログでも何度も主張してきた事だが、それに近い内容がドラマ、しかも地上波(もちろん原作があるのだが)で流れた事にびっくりした。なぜなら、私が見ている社会はこの通りであり、また、このドラマを見た問題意識のない人達は多分、「出ている人間、みんなクズだなぁ」と社会への当事者意識が無い事が多いからだ。つまり、ほぼ地上波では意味が無いと思われる内容だ。

 

今まで思ってきたのは、

・一人ひとりが社会に対する意識、それは目の前「個」の他人を尊重する事からスタートする。その意識の集合体が社会だ

という事だった。しかし、その意識が最近揺らいできている。そんな事無駄ではないか?大きな流れこそが社会であり、それはこのドラマのように、小さな悪意、モラル違反、マナー違反等の負のエネルギーの側面から逃れる事は出来ない、いや、それらが大きくなっているからこそ、格差が広がっていて、幸せな人と不幸な人の差が大きくなっているのだはないか。そして、不幸な人達はもう這い上がる事は出来ず、幸せな人達がより幸福になる為に社会は動き、どんどん不幸な人達が増えているのではないか。それが現実社会なのではないか。そう悟りつつあるのだ。

 

個人でできる事などたかがしれている。私が底辺にいる限り何も出来ないし、何の影響力もない。でれば、社会や他人など無視して好きかって生きている方がいいのではないだろうか。底辺ができる小さな悪意などたかが知れている。

・幼児がいようがいまいが、関係無く私有地、公園でタバコを吸う

・自転車で片手で傘をさす

・自動車で右左折の際、歩行者、自転車が若者で反応力がある場合、無視して優先してまがる

・ゴミを道に捨てる

・犬の糞を片付けない、リーシュコードをはずす

・粗大ゴミは路上に放置する

・自転車に乗ってその後電車に乗る場合、駅前のスーパーの駐輪所に長時間止める

こんな所だろう。もちろん、すべて私はする事が出来ない。ルールが云々ではない。そうした事を平気でする人間が一人でも増える事にる社会の変化に対する責任が取れないからだ。そう思っていた。

 

それも、一人よがりのバカな思想だったのかもしれない。

乱反射。不思議と善意はほぼ乱反射しない。ちょっと影響を受けて真似する人が出るくらい。

やはり、悪は強い。それが人間なのだろう。果たして私はどう生きるべきか。