底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

ゲームショウの女性コンパニオンは日本やアジア中国などのアジア圏だけになっている

オタク=大多数が男性、によって出来た、女性キャラと言えば、幼女、妹、巨乳、ウエストが細く、足長とか、色々ある世界観にスマホゲームや漫画によって今やファンの半分以上が女性というモノもあるぐらい、女性が進出した事によって、「ん?なんで女性って全部同じ扱いなの?」的な目線が生まれて、欧米では女性コンパニオンという文化は消えている。

これは当たり前の話で、男性だけで作られた世界に女性が交じる事で均衡が取れただけ。男性の欲望を具現化した世界は生存し続けるだろうが、それを大手ゲームメーカーが率先する必要は無い。ただ、アジア圏の先進国では未だ女性蔑視、女性は性のはけ口であり、男性よりも劣っている、という発想が強く残っており、その象徴が女性コンパニオンだ。

いやいや、これは文化だ、とか、やらしい目ではない、という人もいる。しかし、実際にレイヤーの撮影会を見れば、やらしい撮影をする人の数は決して少なくない。では、なぜ欧米の方が先に女性コンパニオンは女性蔑視だ、と消える事になったのだろう。

 

それは簡単。欧米の男性は自分たちの性を開放する事で快楽を得るからだ。これは欧米のアダルト動画を見た事ならわかると思うが、男性が達する時、「オーマイガ!」的に叫びながら口を開けている事が多い。これは開放=快楽の絶頂を意味している。この延長上が女性への接し方。普通の道であっても、夏に日本女性のような裸に近いセクシーな格好&ヒールなど履いていると、若者が「おいおい、やせてくれるのか~?」とからかってきたりする。だから渋谷にいる若い女性のようなかわいい格好は例えばフランスだと、男性から卑猥な言葉をかけられまくるので出来ないという。

しかし、アジア圏は逆。成人動画で男性がイク時は「う!」と目を閉じて唸る事が多い。一瞬苦痛なの?と思うような表情。これはアジア圏では抑え込む事によって快楽を得るからだ。

なので、女性コンパニオンを触ったり、卑猥な言葉をかけて男性目線の欲望を表に出す欧米の方が先にその問題点が表出化しやすく、廃止になる。アジア圏の男性は思っている事は同じなのに、それが表出させないので、それが問題視されにくいのだ。表面に出ていなければ表面ではいくらでも嘘が言える。別に卑猥な目で見ていない、これは文化だ、と。

確かに、日本では行動に出す人は欧米に比べて少ない。だからこそ、それを想像力という形で創作意欲として性欲を開放してきた部分もあるかもしれない。しかし、女性蔑視、女性を性欲で見ている事には変わりない。

 

表現の自由はある。だから、今までの通りの制作をしていても構わない。それはまた昔のオタク文化のように育ち、オタク文化は表と裏に別れていくのだろう。だが、未だに女性の性を商品としている女性コンパニオンをナショナル企業が大々的にバックアップする事はアジア圏を文化的にガラパゴス化させる行為だ。

 

ちなみに、私は綺麗であれば女性も男性も好きなので、コンパニオンは男性と女性がペアでいるべきだと思っている方である。女性がいないと寂しい、とかではなく、2次元の世界の3次元化にワクワクするからである。