底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

中学聖日記

このブログでは何度も対象にしているが。

日本では教師の未成年へのわいせつ行為事件が後を絶たない。年間200件以上の処罰対象の教師がいる、という事は潜在事件(表面化しない)を含めると、私がざっと見積もっただけでも都内の公立中学に一人は必ずそういった教師がいる事になる。これは携帯すらポケベルもなかった私の中高時代でもそうだったので、この比率が下がる事は無いと思われる。

そんな中、社会と形成する大人達は自分たちの社会をどうするか選ばないとならない。教師は子供が始めて密接に触れる大人なので、親と比較するので立場上好意を抱きやすい(もちろん、その逆もあるが)。逆にSNSが普及している事でワイセツ行為目的の教師は手を出しやすい。そういった背景の中、どうしたら子供達を守る事が出来るか。

ある程度固まった信念の元に自己判断が出来ないから未成年であり、だから選挙権が無い。そうした未成年を守る為に法律(なぜか条例レベルだが)ができ、淫行条例がある。つまり、教師という立場を利用して生徒に手を出す事は児童虐待と実際は同等なのだ。

ただ、教師と生徒、という恋愛関係を創作するな、というのはまた違う。表現の自由はあるので、漫画であろうが小説であろうが。アダルト動画であろうがそういった作品はあり、その嗜好の人は購入するだろう。問題があれば18禁にすればいいだけの話で、各個人の嗜好まで止める事は無い。その欲望を抑える事が出来るのであれば、そういった嗜好の人が教師になる事もあるだろう。

ただ、そういった題材(好意的にワイセツ行為を描く)を地上波で幅広い人達に放送するのは問題が別。見なければいい、という話は視聴者側の能動的な行為であり、それはその他創作物と同じで、小説やアダルト動画と同列に地上波テレビを扱うのはどう考えても影響力が違う。例えれば、電車で痴漢された女性がその痴漢に恋をする、というのを好意的に(痴漢されるOL役が有村架純、女子高校生役が広瀬すず、とか)描くのと同等だ。

考えないとならないのは、少なくとも年間200人以上の被害生徒(男女含む)がいる、という事だ。自分が身体だけで弄ばれた事を全員がいい思い出、となっているわけがない。人によってはPTSDで苦しんだり、人によっては自分の存在価値が身体だけ、と自己評価が下がり、お金に苦しんでいなくても風俗に身を投じたり。そうした子供達がいる、という事だ。その子供たちはこういった、教師と生徒の恋愛を純愛のように描いたドラマを人気俳優が演じ、それを称賛するようなネットPR記事を見た時にどう思うだろうか。「私があの時我慢すればよかったのだろうか」と世間から自分が取り残されたように思わないだろうか。また、現在、ワイセツ教師からまさにオンタイムで行為を受けている生徒は「これはあのドラマのように、純愛だよね」と自分を納得させる事にならないだろうか。

大人の判断と子供の判断を同列にするのではなく、自分が中学生の時を思い出して、その時の判断力、見識を考えて子供を社会で守る事。それは日本という国を構成する日本人としては当たり前の事だと思うのだが。

 

それでも、自分の欲望、性癖を優先して地上波や映画で教師と生徒の恋愛を描きたいのであれば。描き続ければいい。その時はいつか自分の子供、知り合いの子供が被害にあう事をしっかり想像して。