底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

安田純平さんへのバッシングの根深さについて

私はバカなコメント等は見ない事にしているので、そもそも彼がバッシングを受けている事を知らなかった。自己責任論とか色々あるらしい。まあ、これはいつもの事。ただ、そのようなバッシングをする人達の発想の根深さに気づいた出来事があった。

それは「ワイドナショー」というCX系の番組内での事。言葉はうろ覚えなので、覚えている限り。

長嶋一茂氏「ジャーナリストって言うけどさ、それが日本国民にとって何の役に立つかピンとこないんだよ、我々には」

堀潤氏「例えば、安保の時にもあったのですが、シリアで戦争があったら石油の値段が上がって結局日本国民の生活が大変になって。だから戦争に加担するような事になったら、巡り巡って日本国民にダメージが来る事に・・・」

長嶋一茂氏「いや、だからさ、わかるよ、子供がなくなったり、ひどい事があったり。可愛そうだなぁ、とは思うけど、直接日本になんかあるのかわからないじゃん」

ここで、同じゲストの千秋氏が流れを変えようとする。

千秋氏「でもさ。知りたいと思わない?遠い国で何が起きているか、とか」

長嶋一茂氏「思わない。関係無いもの(だったかな?)」

 

この一連はまさに社会の構築を考えない、考えようともしない今の日本の国民性を良く表しているなぁ、と思った。ドラマにもなった「乱反射」は、このブログでも何度か言っている、「自分と家族、仲間に直接関係無い事には無頓着」な人間の「点」の悪意、悪行、反社会的行動が巡り巡って最大の不幸を受けてしまう人間を描いている。難しいのは、その「点」で反社会的行動をする人達は日本社会では普通の人達だ、という事。近所にも見かける人達はいると思う。大通りではタバコを吸わないくせに、裏道に入った途端に吸うスーツのサラリーマン。駅の近所のスーパーの駐輪場に子供共々自転車を止めてそのまま電車で出かけるお母さん。細かく言ったらキリがないほど、平気で社会のマナー、ルールを破る人達はごく一般的に見る事が出来る。その人達は多分、「乱反射」を見ても「ひどい事する人達がいるもんだねぇ」となって、自分たちがしている反社会的行動に責任があることなど微塵も想像できない、いやしないだろう。

 

見たい事だけ見る。信じたい事だけ信じる。

 

これが徹底しているこの多くの日本人達からすれば、ジャーナリストとテレビやツイッターをまとめている記者の違いなどどうでもよく、むしろテレビをまとめてくれているネットニュースの方が有意義に感じているかもしれない。

遠い国の出来事。自分たちに関係無い事。この長嶋一茂氏の意見は戦場ジャーナリストとマスメディアの関係とか、何がジャーナリストなのか、とか、そういう事以前に、日本社会が今陥っている根底の問題に気付かされた。理論的とか論理的に、とか関係無く、そもそも自分家族仲間に直接関係無い事は想像力が働かないのだから。

 

なぜこんな社会になったのだろうか。一つは教育になる。怒られるからやらない。殴られるからやらない。そういった教育を受けてきた人はなんでその行為が駄目なのか、ということを学ばずに大人になってしまっている。なので、罰則が無いマナー、ルール系はガンガン破る。自分が得になるのであれば。ただ不思議なのは私も含め、そういった教育を受けてきた人達でもしっかり社会の構成員としての意識がある人達も少ないがちゃんといる、という事。ただ少ないのが問題で、そういう人達は無償ボランティアとか「いい人」として搾取される側になる事も多い。

この社会風土は根深い。実は第2次大戦中の日本でも戦争に無関心だった日本人が多かった事がわかっている。配給が減ってきつくなってきたねぇ、ぐらいで、太平洋の先で起きている事、程度に思っていたらしい。そこをいいように国に使われてしまった。

では、安田純平さんへの非論理的なバッシングが一般的だとしたら、今も第2次大戦中と同じように、日本国民は国にいいように使われてしまう土壌がある、という事だ。

そうならないためにも、自分で考え、社会の構成員として、短期的な損得以外に、広く社会、世界を考えないとならないのだが・・・。

まあ、無理か。