底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

拡大自殺

まだ決まった定義がなされていない言葉。拡大自殺。川崎殺傷事件で目にする事が多くなった。

「1人で死ね」には「関係無い人を巻き込むな」という前提があるのだと思うのだが、多分、加害者からすればその行為を行っている対象は「関係無い人々ではない」のであり、自殺をした以上、1人で死んでいるので、世間のこういった人々に興味も関心も無い人々の言っている事をしっかり守っているだと思う。

このブログでかなり前に、こういった行為(言うなれば拡大自殺)をする人々は増える、と書いた。それが私が社会の底辺にいるから、まさにこういう行為をする人の気持ちがわかるからだ。この部分では爆笑問題太田光が「すぐとなりにいる」という現象であり、このどす黒い感情を持った事が無い人にはわからないと思う。他人を憎む、恨めしいとは違うのだ。根底にあるのは

「自分を消したい」

という感情、気持ちだ。このブログを書き始めた当初、かなり登場していて自己肯定感の無さ。ここから、「自分が生きていてもいい」と思うようになるのはかなり難しい。太田光は「ピカソの絵を見て」生きていてもいいんだ、と思ったと言うが、このように他からの接触、エネルギーの流入が必要なのだと思う。

しかし、「ひきこもり」「たてこもり」状態だとそのエネルギーの流入が無い。中年のひきこもりの場合、自らの理想と世間のズレを認める事が出来ず、その理不尽さに打ちひしがれ、家の中に「たてこもる」状態となって自分をかろうじて守る事もある。例えばたった1年歳をとっただけで応募さえもできない求人や、ネットの心無い言葉。今まで自分が生きてきた人生全てを否定する社会。それが日本社会という現実の中、家族にまで否定され続けたら。なんとか生にしがみつくのに必死でひきこもり、たてこもるのだ。

しかし、時が経つにつれ、自己否定感はどうしようも無くなる。生きている自分の価値をそもそも感じない中、社会からも追い込まれる。私も感じた。なんとか這い上がろうと社員募集→まあ、落ちるよなぁ、ぐらいは思っていたが、アルバイトさえもひっかからない。最低時給で働く経験者が未経験の大学生に負ける。この時の絶望感。そんな情報だけを知っていたら、とても社会に出ていこうなんて思わないだろう。そこを這いつくばって自己を否定され続けて働く理由が無いからだ。もう、ライフはゼロなのだから。

底辺というのは自分が底辺の経験をしただけではない。自らも底辺と思い、実際にそれを社会で実感する、自他共に底辺である、という八方塞がりな状態になって初めて成立する。それは自分という人間が「相対的に底辺の価値」という事ではない。社会から孤立し、繋がりが無い状態では社会から「底辺」である状態になってしまう、という事だ。

太田光ピカソを見て自分も生きていていい、と思ったのは自分に生きる価値がないと思っていた反面、自分への理解が無い周りを見下すという反面の自尊心があったからだろう。キュビズムが理解出来ないと、あの絵を褒める社会の滑稽さ(キュビズムは素晴らしい絵だ。一応)を考えれば、自分というピカソ=天才を理解出来ない社会に絶望する必要はない、と思えたのだと思う。では、岩崎隆一容疑者(51)はどうだろうか。彼も同じように自分は生きる価値がない、と感じていた反面、自尊心があるから今まで生きてきた。前も書いたが、憎しみは熟成する。大きくなる。最大限に価値が無い状態(自死)選択する時、最大限に自尊心が大きくなる時でもある。彼からすれば関係しているカリタス小の児童を巻き込むのは自分をここまで追い込んだ象徴なような気がする。彼からすれば、彼を追い込んだのは彼をとりまく周辺の具体的な狭い社会だったのではないだろうか。なので憎悪の対象がはっきりあった。これがネトウヨ系だと対象は社会になり、「誰でもよかった」と無差別に繁華街(人が多い所)にでも行くだろう。

 

防ぐ手段はあったのだろうか。孤立させずに生きていてもいい、という価値を与える。たったこれだけだ。しかし、これが難しい。個人の人生でもかなり難しいから、結婚して相手に必要とされる価値を得て。それが薄れるから子供を作って「この子の為に」と自分の価値を感じて。それだけ個で自らの価値を感じるのは難しいものだ。そんな中、年齢や学歴、離職期間等で実力関係無く人間性を否定する事を肯定する日本社会では孤立した途端、底辺に陥る可能性が高くなる。特に中年は何の支援も無い。61万人と言われる中年のひきこもりは、親が認めない人達を含めると100万人以上と言われる。私もかつてそうだったが、一人暮らしだから統計に載るわけがない。これが豊かな社会なのだろうか。

今後、更に貧富の差が広がり、今51万人と言われる若年層のひきこもりがそのまま中年になる。そして100万人の中年のひきこもりはそのまま。それだけいれば同じように追い込まれる人が出て、同じような事件が起きるだろう。

「自分も含め、皆それなりに苦労しているんだから」という自己責任論の人々にとって想像が出来ないほど更に深い自己否定と憎悪。傷つけられる自尊心。その先にこういった事件はあるのだ。

 

まずは年齢差別を撤廃する事から日本社会ははじめてはどうだろうか、と思うのだが、そういった議論にもならない。年配=低賃金で雇える人手、として雇用する会社とかがフューチャーされる事に違和感を持たない社会だからなぁ・・・。

そんな事に悩む底辺君です。どうしたらいいんだろう・・・。