底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

木村花さん死去でのネットの反応と人間のモブ化について

毎回こういう事があると悼む側は

・誹謗中傷はよくない。芸能人だって人間

SNSは匿名性無くす、プラットフォーマーに何かしら規制できないか

誹謗中傷を肯定する側は

・誹謗中傷されるのは芸能人税だ。嫌なら公人やめろ

スルー力を身に着けろ

・前向きに返事等の思考の転換を身に着けろ

となる。論点が完全にずれているので噛み合うわけがない。

 

私が思うのは日本人は異常に家族や仲間(友達)等、自分が決めた人以外をモブ化しすぎじゃないか、という事。他人を人間として見ていない、人間性を無視している人があまりにも多いのだ。だからなんでも細かく法律で決められないと社会の事を考えて行動が出来ない人間の方が普通になってしまった。

私は人間観察において、細かい反社会的行動(路上喫煙等)をする人間の共通点をずっと探してきた。例えばマンハッタンのウォール街の路上でタバコを吸う人を発見出来なかった。セントラルパークでも。もちろん、路地に入ってもいない。たまに見かけるのはいかにも移民系の人。数日滞在して路上喫煙者は2名だった。しかし、日本はどうだろう。スーツを着た人でも年齢関係無く路上喫煙が駄目な場所でも私有地ならOKと、ビルの敷地でちょこんと立って吸っている人、路地に入った途端に吸う人。沢山いる。アメリカと違ってこういった社会行動に年収差が無いのだ。そんな中、気がついたのは喫煙で言えば法律云々ではなく他人にタバコの煙を吸わせる権利が無くなった、という社会の為のルールというのを理解しているアメリカ人と法律守ればいいんだろ?という日本社会の違いだ。そして、法律守ればいいんだろう??社会の日本では抵触しなければ何をやってもいい、となっている感覚を持っている人が年収関係無く多い。

 

そんな中、他人を自分と同列の人間として見ない、尊重しない特定の行動をする人達はその他の場面でも他人を尊重する事が無い言動をする。それが基本の思想となっているからだ。例えば先の例で言えば路上喫煙で他人に煙を吸わせる事をなんとも思わない人は自転車で無灯だったり、邪魔な場所に駐輪したり、無料の施設だから汚したり、と細かい所で自分勝手な事をする傾向がある。こういう人は子供がルールを無視していても注意せず、他人が注意すると「ほら、おじさんに怒られちゃうから」とルールを守る事ではなく怒られないようにする事を子供に教えたりする。暴力は駄目だからモラハラ、セクハラ、パワハラはする。目に見えないからだ。自分の為に他人を利用するのもなんとも思わない。世の中には利他的に思考出来る所謂「いい人」と呼ばれる属性の人達がいる(私もそうだ)。こういう人達を存分に利用しておいて人間性の尊重、尊敬をする事はしない。利他的行動ができる人達は私の役にたった事自体でうれしい、満たされているんでしょ?と勝手に自己解決している。

 

つまり、誹謗中傷するなという当たり前の行動単体の話をしても意味がないと思うのだ。横にいる見知らぬ他人も自分と同じ人間だと思う事。尊重する事。たった1m以内の事。ここからなのだ。

誰だって子供の頃、いじめっ子、いじめられっ子、傍観者。どれかを経験したはず。全部経験した人だっているはず。そして本を読み、映画を見て劇を見て。年齢を重ねるに連れ自分の痛みと他人の痛みが理解する能力が身につき。そして社会が個の集合帯で出来ている事を知る。日本社会はこの当たり前の心の成長がどこかで欠落するのだ。

長年生きていれば一度はマンホールが開いていて中で作業しているのを見たことがあると思う。しかし、その穴にタバコの吸い殻を捨てる人の多さたるや。自分が認めた人以外の他人を同列の人間と思っていないから店員に横柄な態度を取ったりも出来る。

 

こういう人達はモブ化した他人が死んでもなんとも思わない。だって同列の人間と思っていないから。でも自分が認めた人間が亡くなった場合は大いに悲しむ。こういう人達は海外の犯罪者プロファイルで言えば孤独な中年という事なるだろうが日本ではむしろ逆の事も多い。家族もいて安定した職があり。遊んだり相談にのってくれる友達が多い人達だったりする。日本で孤独な人達は自分以外はむしろすべて社会であり、だからこそ悪意が増幅した時は社会全体が悪になったりもするが、そんな事はなかなか無く自分が所属する場所が無い為に誹謗中傷する場合は承認欲求としての行動である事が多く、この解決は難しく無い。問題は前者の所謂普通の人達だ。この人達は他人をモブ化しているのでたちが悪い。普通に仲間内では「誹謗中傷、良くない!」って主張したりする。他人のモブ化してその人の人生を尊重しない事が根底にあるので、不倫も平気で出来る。自分の役に立つのであれば相手の時間を使う事になんらためらいも無いし、独身の不倫相手も「お前も楽しんでいるだろ?」と認知の歪みまで持っている。そしてこういう人達はモブ化している他人をゲームのごとく動かす術を持っている人も多い。口から心にも無い耳触りのいい言葉を平気で吐く事が出来る。だからその逆に相手が心底傷つく誹謗中傷も言える。

 

誹謗中傷を止めよう、なんてざっくりした大きな話じゃない。隣の他人、すれ違った人。全員自分と同じ人間であり、その集合体が社会であるという当たり前の感覚を持つ事。それだけでいいのだ。一般庶民が政治家のようにざっくり「アルバイトが出来ずに困窮した学生」というクラスターで人を見る必要はないのだ。近所の閉まっている店があったら、(ここのアルバイトの人、収入無くなって大変だろうなぁ)と思いをはせるだけでいい。アルバイトが出来ないで無収入に学生も中高年も関係無いからだ。

 

この人間をモブ化して他人を尊重しない人達の傾向としてもちろん、従来の孤独で自分以外は社会であり、その社会から弾かれているので自分も無視するという属性の人はいる。しかし最近思うは所謂普通の人達。この人達は自分が決めた(選んだ)社会だけはずっとある、むしろ選択出来ると思っている節がある。例えば、正社員で家族がいて決まった友達がいて。この自分が選んだ社会が壊れない限りその他は自分の快楽や憂さ晴らしでモブを利用する。あまりいい例ではないが、独身の中高年がガールズバー若い女性に恋をするというのがある。これは孤独な人が他人に優しくされた事でキュンとなってしまうから。それが相手は仕事であるという事を無視するほどに。つまり社会との接点が少ない人は他人の優しさに感謝できるという事。しかし普通の人達は自分が選んだ社会さえあればいいので、その他は自分には関係無い。利用出来る人間は利用する。そこに感謝はない。むしろ相手は自分の為に動けて幸せでしょう?ぐらい思っている。

となると、社会との接点。となりの他人に優しく接するまでいかなくても、モブ化せずしっかり自分と同じように傷つく人間、考えている人間と思って相手の人間性を尊重して接するだけで、その扱いの気持ちは相手に届く。ちゃんと人間として接してもらうだけで人は癒やされるものだ。この癒やしは知覚しない事も多い。所謂深層心理の部分だ。この知覚しない心の底がポカポカする事だけで気持ちが変わる。また例を出してしますが、不倫相手の独身女性が長く続かないのは体とその場の楽しさ以外既婚者は求めない事で通常の交際相手よりも楽で楽しい分、自分の人間性が踏みにじられる感覚があるからだ(これは知覚出来ない人もいるがしっかりダメージは残る)。

 

出来る事は簡単だ。他人をモブ化しないだけ。ただ、これがシンプルなだけにとても日本社会では難しい。それは人間の多様性を認める事だからだ。公的期間でも年齢差別で職がないように、まずは年齢。そして世界で120位以下でもある性差別。この年齢性別という2大クラスター化には様々な決めつけも紐づく。逆に言えばそこに入らない人はドロップアウト組でモブ扱いされる。政治が庶民の多様性を認めない中、庶民が身につけたのは「じゃ、がんばっている私がゲットした社会以外はモブよね」だった。これは為政者からすれば都合がいい。

 

とりとめもなく書いてしまった。とりあえず、誹謗中傷をなんとかしたい人達は関係無い他人の人間性、人生を尊重する所から初めてみてはいかがだろうか。それは伝播してきっと社会の雰囲気を変えると思うのですよ。