底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

先生と生徒の恋愛映画や漫画の影響

先のエントリーの続き。今をときめく若手美男美女俳優を使った教師と生徒の恋愛ドラマ、映画が必ず周期的に作られる。もし私が教師だったら、毎年起こる教師と生徒のワイセツ行為事件だけでなく、実際職場でのそうした行為を見ているわけだから、志ある教師達でこういった作品を停止、もしくは美談にしないような署名を集めたり活動をする。これは教師&生徒共に、自由意思だと勘違いしていて、マスメディアの洗脳に気がついていないのだ。

先にも書いたが、洗脳され為政者のいいように操られているからこそ、自分がそうした立場だと気が付かない。なので何かあった時に「自由意思」での言動であり、だからこそ「自己責任論」になる。自分を含め多を正義と考え人間性を無視する無意識の癖、認知バイアスが身についてしまっているのだ。

ドラマ「ジェニーの記憶」を見てもらいたい。記憶とは書き換えられて封じ込められてそれが大人になっても人格形成に色濃く影響し、選択に影響を与える。先の教師で私が知っている一例を言うと、ワイセツ教師は毎年新入生徒を狙う人も多い。こうした教師は家庭環境チェックに余念が無く、男親が子供の頃から不在がちで子供の教育に携わらない子を選ぶ。大人への憧れがあるからだ。その心理を利用して近づき肉体関係を持つ。生徒からすれば愛されていると思う。しかし、その後上の学年、またその上の学年の人が同じようにやられている事を噂で聞く。そしてその教師と別れる事を決める。ここまで半年ちょっと。それまで毎週のように教師に抱かれる。

この生徒は大学生になって。大人になって。それでもこの時の記憶が残っている。教師は初物喰いだった事も知る。なぜ制服のままSEXをするのか。なぜ動画、写真を撮るのか。私は愛されていたはずだ。ここに事実と感情、こう思いたい、という気持ちがバラバラになる。大概こうした女性は外見的に魅力的な人が多いからその後もこの教師と同じようなタイプの人と付き合う事が多くなる。これは過去を塗り替えたいという思い(この人こそ、肉体関係がメインじゃない)と、自分には肉体しかない、という自虐行為が交差する。いわゆるPTSD。これが結婚しても続く。

果たして、このまだ精神的に未熟で知識が少なく教師を無条件で信じてしまう生徒と「自由意思での自由恋愛で自己責任だ」と言えるのだろうか。しかも、定期的に人気若手俳優が教師との恋愛をキレイに描く映画、ドラマを見されられるのだから。教師との恋愛の具体的なイメージをマスメディアが与えているのだ。付き合おうが別れようが、それはキレイな純粋な恋愛である、と。それしか選択肢がないのだ。先にも言った通り、本来なら志がある教師がこうした作品に断固反対すべきで、これがアメリカならスポンサーも「我々は児童虐待を許さない」と声明付きでスポンサーを降りるだろう。しかし、体制が大勢で「キレイな恋愛」を植え付けている中、学生にそんなPTSDは自己責任だ、と本当に言えるのだろうか。

しかし、これを実際に言う人は若い教師にも実際多くいる。だからこそデモも署名運動も起きない。皆洗脳されている。

 

これが自己責任論の根っこの一部。