底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

MIU404とアンナチュラル

テレビの事真面目に話してもしょうがないのだけれど。同じ脚本家なのよね。で、先日の放送で過去作品の登場人物たちが同じ設定で登場(名前だけも含め)したらしいのよ。私は過去の事なんてそんな詳しく覚えてないから気が付かなかった。なんでわかったかというと、あまりにもいい回だったので他の人の意見が見たくなって検索してしまったのよ。そしたら、表題のような事になり。過去作品と「つながってる!」っているのが多くて。中にはWeb記事にもなっているのがあって。もう、せっかくの感動が台無しなのよね。

 

そもそも、過去作品と繋げるという行為自体がナンセンス。今の作品は今の制作陣の思いであり、過去は過去。この演出は単純にファンサービスレベルだと思っていたのだが、ヲタファンはそうはいかない。踏みとどまるだの、一線を超えるだの。何を言っているのだか。で、その違いを過去を分析した上で何を思ったか、何を感じたのか。何を今後考えるのか。それが大事なのに。「違い~!」「繋がってる~!」って。そこで終わり。今の作品が可愛そうだ。前に神田伯山が松之丞時代に、ヲタによって文化が衰退する、って落語ファンの事をディスっていた事があったけどそれを思い出した。

 

というのもね・・・。MIU404のこのファンが狂喜している回の犯人はまったく反省していないのよ。ここが大事。つまり、犯人にとっては法律を犯しているだけ。善悪の話ではない。もちろん、法に反したら全部悪!っている知能の人も沢山いるのだろうけど。

もちろん、彼が行動を犯すのは単純な事ではない。定年退職で組織のしがらみがなくなる。現役時の彼の「赦し」の感情に奥さんがかなり影響していたこと。定年後のボランティア活動も奥さんのアイデアであること。つまり大げさに言えば彼は奥さんありきの社会にとっての善人だったとも言えるのだ。そうなると残虐行為をする彼こそが彼自身だ、とも言える。これは人間という存在の難しさにもつながる。

綾野剛演じる伊吹は彼に影響されて刑事になった。しかし、伊吹が知っている彼は彼の人間の中の「点」の部分でしかない。接点の部分でしかない。

これは私がずっと思っている事なのだが、所詮人間の「接点」でのバリエーションなどたかが知れている。例えば、「やさしい」「やさしくない」っと判断する接点など数回で決まる。「いい人」「悪い人」もそうだ。しかし、その背景にはAIでも解析不可能な程の人間の深み、闇がある。そこが時間と共に見れる時、人は「性格の不一致」で離婚をしたりもする。結婚当初は趣味や楽しい事で「気が合う」という接点での人間関係でしかなかったからだ。

伊吹の公正に手を貸してくれて彼はそれが仕事であると思っていたからかもしれない。贖罪を考える奥さんの意思で。もちろん、それで伊吹は救われた。しかし、救う事が出来ない人間など沢山いる。人間は全てが弱い。単純にまわりにどういう人がいたかどうかで決まる環境要因が人を変える事は社会学、哲学、心理学で証明済だ。

つまり、内容で過去のドラマ「アンナチュラル」とは描く人間像も社会像もまったく違うのだ。これを繋がっていると考えるのは無理がある。話を単純化しすぎていて今の作品さえ冒涜していると思うのだ。

ラストシーンでなぜ頭脳明晰な伊吹があそこまでやるせない表情で落ち込んでいたのか。あの表情。あれだけでこちらを巻き込んで泣かせる綾野剛の切なさ。その演技を見ても「繋がっている!」「意味がある!」っていうのは無理なんじゃないかなぁ、と思うのだ。

 

まあ、個人の自由だし、私が正しいわけじゃないけどあまりにも同じ意見ばかりだったのでつい。