底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

大分の女子高生が30代の妻子ある教師との関係で自殺未遂の報道について

毎日新聞

「教諭と交際の女子高生が自殺未遂」

朝日新聞

「教諭と不倫関係にあった女子高生が自殺未遂(今は交際に訂正)」

だったとの事。生徒はこの教諭に妻子がいる事に悩んでいたが、教諭から「ずっと恋人でいたい」と引き留められて追い込まれた、との事。この教諭は「SNSや携帯でやり取りする中で親密な感情をもった」との事。この教諭は淫行の疑いで書類送検で罰金30万円の略式起訴レベル。年齢的にみてもこれは他の地域で同じ事を繰り返す可能性が高い。一度ここまで人間を追い詰める事ができるような人間性が治るは自身の努力でしかないが、性欲を満たすという自身にとっての金(仕事)よりも興奮の喜びを知ってしまった人間は麻薬中毒、アル中と同じように独りで脱する事は難しいだろう。

 

で、表題なのだが、教師のワイセツ行為について取り組んでいる弁護士等がSNS

「交際でも不倫でも無い。なぜなら教師と生徒の関係は対等ではなく、スクールセクハラの事案なのだから」

と言っていて。これはなるほど、と思った。言葉のチョイスによる全体イメージがガラッとかわる。

このブログでも何度も言っているが、日本社会は芸能界を巻き込んでなんとか教師と生徒の性的関係を成り立たせたい。親も生徒からしてもたまったもんじゃないが、好きな芸能人が演じる事でその感覚も麻痺する。それが「交際」という言葉だったり、「純愛」という言葉でのバイアスだろう。

そもそも交際ではないのだ。スクールセクハラ。圧倒的上の立場(個人情報入手し放題、指示し放題、児童心理学を学んだ知能犯)の教師が生徒を選んで性欲のままに襲うわけだ。この教諭も言っているが、「親密な感情」や「好きになった」という言葉を使う人がいる。つまり、言葉で未成年をコントロールしたように、事後になっても言葉でコントロールしようとしている。「親密な感情」「好きになった」=「やりたい、この子なSEXできる」だ。こういう事をいうといやいや、好きになる事だってある、とういう人がいる。であればその子の将来のPTSDを考えて何もしない事が本来の「好き」だろう。そもそも「好き」=SEXではない。これは大人でも言える。交際=SEXでもなければ、夫婦=SEXでもない。それが生殖本能がなくなった高次元生物の人間ができる事で、その人間が生み出したシステムが教育、学校だ。

 

今後もこうした教師絶対にいなくならない。なぜなら生徒と性交がしたいから教師になる人を防げないからだ(本気で防ごうと思えばできるが)。

であれば大人は子供を守る為にメディア、芸能界を上げて生徒の教師に対する一方的な恋心と教師のそれは明確に違うもので、スクールセクハラであるというメッセージを流し続けて生徒側を教育する義務がある。しかし、それをしないどころか推奨する。

 

それどころか、今や地上派で家での未成年の少女を監禁した恋愛や妹との関係も放送し続ける。日本社会の女性蔑視の象徴的問題。

 

はあ、私がナベツネぐらいの権力があれば。