愛を言い訳にしてないか、最近増えている男女問題
全ては「自分に得があるから」だと思うのよね。この「得」の部分って人生時間だったり、秒で変わったりもする。ここの性欲が加わる。なので、恋愛対象に感じるこの、愛や恋、好きという感情の正体は
①自分が何かしら得をする
②性欲
これだけ。②はわかりやすいからOK。問題は①なのよね。いやいや、無償の愛だってある、っていう人もいるかもしれないが、そんなものはない。無償の愛のパターンで例えば親子の場合
・愛情を返してくれる→自分に何かしら得がある
・愛情を返してくれない→いつか自分に何かしら得がる
・愛情を返してくれないどころかDVまで→親の型にハマったバイアスで生きる事の何かしらの得、安定感
という感じかしら。この①が崩れていくと人はその不安、鬱憤をどこかではらそうとする。例えば完全に無償の愛を振りまいているように見える神父が幼児を性的暴行していたり。完全無欠の家族を演じている夫が浮気しまくっていたり。そうして人は自分の得の数字を埋めようとしている、いわば欲の塊が人間の正体。ここでよく問題になるのがこの「自分にとって得」が自分が歳をとるように刻一刻変わる事が多いという事。
恋愛で10点を満点としたら。
この点数を与えてくれる相手にプラス性欲がプラスして愛している、好き、と思うのだ。
例えば、
・愛されている→5点
・かっこいい→3点
・やさしい→1点
・正社員→1点
これで10点。ここに性欲が加わって出会いのタイミングがある。ここで大事な視点が抜けている事に気が付かないだろうか。それは「相手が自分とは違う人間である」という事。つまり、自分にとっての「得」は相手も同時な「得」とは限らないのだ。上記が女性から男性だとしよう。では、この彼氏は
・愛されている→9点
・かわいい→1点
合計10点という依存タイプかもしれない。この両者は付き合う事になって結婚した場合、多くの問題が生じる。
DV(モラハラ、暴力等)、浮気、家事分担ができない、子供の面倒をみない、離婚しても慰謝料はらない等々。
色々あるが、多くは男性が駄目男、酷い男扱いされる事が多い。しかし、今までの論を見ると酷い男性を選んだ女性側に問題があるのではないだろうか。戦前のように親が取り決めた強制的な結婚ではない。お互い成人で選択権は自分にある。ここに日本の「愛」や「好き」というバイアスの問題が浮上する。この漠然とした言葉に個人が勝手に幻想を抱いてその正体を自分に問いかけていないのだ。
・女性を殴る男性は昔からそういう人間だ。殴らない人は一生殴らない。しかし、この殴る男性の方が実際はモテる
・日本では3割が不倫しているという。では7割はしていない。しかし、この3割は不倫が出来るという点ではモテる
・家事も育児も何もしない、子供から見て毒親でも結婚出来る
全ては付き合っていればわかる事だ。何がわかるか。それは「人間性」だ。この「人間性」が日本の恋愛観にほとんど入っていないのだ。自分に関係無い所で善行を見た時、その行為の奥の人間性を注意深く観察して人となりを見ようとするよりも、「こういう行為をする人は私を大切にしてくれる人だろう」という自分にとってのお得感ばかりがきになる。そのお得感を積み重ねてパーフェクトに近い人間を選んだ所で。付き合う前、もしくは結婚をしようとしている相手は言動なんていくらだって演じることが出来る。それは当たり前の努力というものだろう。
日本は女性差別が酷い国でその国際数字は毎年下げっている。つまり、逆に男性側にも偏りがあるため、結果的に酷い男性も増えている。結果論だけで男性側だけを駄目男呼ばわりする事はやめてそろそろ選ぶ側の女性の姿勢、知性に言及する時期ではないかと思う。
それこそが立場の弱くなりがちの日本社会で女性が自分を守る事だと思う。