底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

「流星ワゴン」「◯◯妻」がつまらない理由

豪華な俳優陣を揃えたこの2つのドラマ。どれも視聴率的にボロボロだ。なぜこうもダメな結果になったのだろうか。

理由は簡単。この2つのドラマには共通点があって、主人公が生活においてプラス部分を求めているからだ。

「◯◯妻」。高級マンションに住むニュースの冠番組のアンカーである東山紀之は完璧な妻である柴咲コウとの関係に悩む。正直いって、既に庶民よりも上流の生活をし、自分を盲信してくれる完璧なパートナーを得ている東山紀之が更に完璧を求める事に何も興味がわかない。柴咲コウに重大な秘密があろうが、誰だってそれなりに秘密があるのであの生活で不満も疑問も感じない。

 

「流星ワゴン」は西島秀俊が妻の井川遥との離婚と子供の反抗の現代から、過去に何度も戻ってやり直す話だが、何が不慮の事故があったわけでなく、夫の人間性に関する部分が多く、そういったソーシャル能力では当然現れる結果に対して都度改善をしていく、共感も興味もわかない内容なのだ。

 

この2つのドラマがなぜここまで受け入れられないか、というのは現代のコンテンツの充実にも関係する。日本は人口に比べ、世界屈指のブログ大国。個人が様々な生活を吐露しており、誰もが日常の中で苦しんでいる姿を目にすることが出来る。簡単にいえば、富裕層が考えている一般の生活もままならない人達がネット上では多い。なので、スタートはマイナスから。それをなんとか一般的水準にあげたい、という人が結構多いのだ。なので、そういったドラマに庶民は惹きつけられる。

 

近年高視聴率を稼ぎだしたドラマはここを抑えていた。「家政婦のミタ」(奇しくも◯◯妻と同じ遊川和彦が脚本だが)はスタート時に一般的な家庭の姿は崩壊していた。「半沢直樹」も原作、「オレたち花のバブル組」から設定変更して、バブル期入社を強調せず、むしろバブル期のダメ上司達にはめられるマイナスからスタートだ。

 

では、こんな簡単な事をテレビ制作のプロ達がわかっていないのだろうか。私はそんなバカな人はいないと思っている。つまり、失敗することがある程度わかっていてもやらないとならない理由、しがらみがあるのではないか、と思っている。ただ、もし、本当にわかっていなのだとしたら、それは同じ人達と長く仕事をしている結果だ。ブレインにしても、メンターにしても、ずっと同じ人達というのは、逆にいえば安定しているインカムがある人達という事であり、徐々に現代に対する見識が鈍っていく。付き合い当初は尖っていた人達が中年になり結婚し子供も生まれるとかなり世間に対するアンテナは弱くなる。ドラマ系プロデューサーはそこが厳しい。逆にお笑い系プロデューサーはそれが無いので得でもある。なんでも役者のせいにするのは酷だ。

まあ、局の制作側はサラリーマンなので失敗しようが給料が下がるわけでもクビになるわけでもないし、脚本家も過去に一発ヒットがあれば発注を受け続けられる仕組みだし、出演者はグレードに応じたギャラが出るし。視聴率が上がろうが下がろうが、CM出稿する企業には対して売上効果変わらないし。視聴者の時間以外は誰も損しないので、いいのかな。