底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

喫煙は店面積に関係無いという事が理解出来ない日本人

喫煙者の喫煙の権利を守るのではなく、非喫煙者が煙を吸わされない権利の方を大切にするというパラダイムシフトが世界で起きてから既に十数年。日本は未だに喫煙者の権利をどう守るか、の議論になってしまう。これが日本社会で培われた価値観であって、タバコだけの問題ではない、という事に気が付かないと日本人はずっとこうしたやり方を続けてしまう。

すべてを簡単に言うと、

 

・害を受ける側と与える側

 

のシンプルな関係性に個人の私利私欲が混じって判断してもOK、という非理論的価値観だ。

例えば不倫。関係者間にしか害が無いのに、関係無い他人が非難する。関係無い他人に害を与える路上喫煙をした人の方が本来責められるべきなのに。

例えば援助交際。未成年とわかっている大人側が責められるべきなのに、まだ精神的に子供の未成年側を悪くいう中年達。

 

筋が通っていない。タバコもシンプルに考えれば、小さなバーだからこそ受動喫煙問題が大きいのだ。非喫煙者は小さなバーに行く事が出来ない、もしくは煙を我慢するのが当たり前、という事になってしまう。すべての飲食店が喫煙禁止にすれば客足云々の問題などにならない。例外を儲けるから問題になるのだ。そしてそんな事は冷静に考えればビジネスをやっている人なら誰でもわかる。しかし、そうした理論的な事を覆い隠すほど、私利私欲でもOKと考える日本人脳は力がある。

 

ここまでは身近な人によっては利害関係が無い事だから大した問題と考えないかもしれない。しかしこの日本人脳が税金の使用方法や公的サービス、政策にまで関わっているとしたらどうだろうか。実際、タバコなどは国際的な流れ、IOCの要請さえも無視した形となっている。その先にあるのは「害を受ける側」をないがしろにする風潮だ。

日本人脳の発想で怖いのは、害を受ける側がマジョリティーになったとしても、与える側の方が強い、という事だ。というのも、日本人は自分に関係の無い事に興味を持たない、社会の構成員としての意識の低いサイレントマジョリティーとなるべく教育を受けてしまっているからだ。ただ為政者に従う。そうしたシステムが出来上がっている。

 

いやいや、日本には選挙があって、と言う人もいるだろう。これ自体がそもそもサイレントマジョリティーシステムの一つだ。日本は戦後一時期以外、ずっと自民党一党独裁体制だ。これは中国と変わらない。つまり、自民党内で権力派閥が出来るのが当たり前でそこで凌ぎ合いを続けている歴史なのだ。小池百合子東京都知事がそれをわかりやすくしてくれているので興味の無い人でもわかるだろう。つまり、その他(大阪維新等は別だが)の昔からの政党は単純に票を割るだけの存在、地元の既得権益者を守るだけの存在。つまり、国政としてはいらない。理論的に考えれば二大政党制で、参議院を無くして各都道府県知事(またはそれに相当する新たな地方代表)が下院として地元の為に戦う。これだけでいい。

 

脱線したが、理論的に考えてジャッジをする。その癖を大人になって付ける必要があり、自らの嗜好性だけで物事を決めるのであれば子供と何ら変わらない。

 

マスメディアが低所得下層中年を扱う時の偏り

40代を過ぎても引きこもりだったり、年収が100万円以下的な特集ニュースをテレビや雑誌で見たことがないだろうか。そういう場合、必ずといっていいほど、親と同居している中年が紹介される。

これは問題が輻輳している。問題の核心は40歳を超えても低所得で結婚も出来ない人が急増している、という事。この世代はベビーブーム世代(団塊ジュニア)である。数十年後にこの最下層達が老人になったとしたら。そういった危機的な社会になぜなってしまったかであり、そこの分析が対策への糸口にもなる話しなのだ。なのでパラサイト・シングル問題はその中の一つであって、決して同列で語られる問題ではないのだ。パラサイト問題は親たちの年金額等、老人優遇政策など親世代の政策背景も問題にしなくてはならなくなる。

そういった付加的要素の話しの前に、企業は当たり前に出世枠は少ない。ベビーブーム世代は人数が多いからあぶれた人間に年齢差別のある日本では職があるわけがない。しかし、セーフティーネットがあるわけもない。正社員の優遇措置、既得権益化等、そういった世代を背景にした社会システム、経済政策を話し合うべきなのだ。それを同居中年、という情報を頻繁に流す事で、こういった事に関心のないホワイトカラーやブルーカラーの結婚している人達は

・自己責任だ

・能力が無いからだ

・甘えるな

と切り捨てておしまい。もっと早くこのベビーブーム世代の問題に目を向けて政策を取っていれば少子化も今よりもマシになるはずだった。ずっと見捨てていたこの世代がそのまま40代になったらそりゃ問題になるわ、というのは当たり前だ。そういったこれこそ、社会の問題であって、それを構成する一人ひとりの問題なのだ。

 

同居中年ばかり報道して感情操作するあたり、増え続ける生活保護者を抑えるべく流している、全体の2%以下という極めて少ない不当受給者ばかり報道するのと似ている。その情報を受信する人達はその時点でほぼそういった事に無縁な人が多く、メディアの操作のままに、「ふざけんな!」となる。

 

有権者がもっと自分に直接関係ない社会に目を向けるようになれればいいのだけれども。日本で社会の為に立ち上がる人達をいちいち「プロ市民」と揶揄する人達もいるし。海外で人種差別問題のデモ等で差別問題に関係のないCacasianの一般人、有名人が支持をするのを見てもこういった人達は「プロ市民、売名行為」と揶揄するのだろうか。単純にあなた達よりも社会全体を考えている、と思う事は日本人には無理なだろうか。

 

困ったなぁ。

 

プレミアムフライデーの報道の違和感

企業が真っ先に減らすのが固定費であってその最も大きなものが人件費。金曜15時に社員を帰らせて、給料は減らさずになおかつ会社から遊び用補助も出る。これが出来るのは

プレミアムフライデー導入による減税措置、補助金等が国から出て原資がある場合

②下請けに仕事を流す、ブランド力会社(所謂大会社)の場合

 

ぐらいしかないだろう。今はそういった会社の中枢にいないので、①は想像でしかないが、利潤追求会社が経常利益を削ってまでプレミアムフライデーを導入するメリットなど何も無いから、当たり前のからくりだと思う。

別にその事の報道までしろ、とは言わない。新卒採用補助金等、国が日本としての既得権益保護の為の公金投入などいくらでもあるからだ。問題はこれを導入する意味への追求、そして問題をどのマスメディアも報じない事だ。

 

一人あたり1000円の経済効果がある、という。その試算方法をどれだけの人が知っているだろうか。そもそも、アベノミクスでのトリクルダウンという、金持ち(大会社)優遇によって金が周り、下々まで金の流通があって、結局皆が儲かる、という仕組みはご存じの通り今の日本では機能しないのは結果として出ている。グローバル社会の今、金持ちは海外に資産を移し、大会社はオフショアで生産を続けている。となれば、プレミアムフライデーで金が回って、結局皆が儲かるという事が成り立つはずがない。

 

問題はそれだけではない。パートタイム等の低賃金労働者がサービス業には多い。彼らの時給はここ近年、ずっと最低時給から上がっていない。深夜コンビニと牛丼、悪名高き居酒屋ぐらいが1000円超えしているぐらいだ。今や技術職である整体等も最低時給だ。20年前なら技術職は時給1500円以上もざらにあった。そんな低賃金労働者にプレミアムフライデーは訪れない。そして彼らを雇う企業が儲かった所で彼らの賃金が上昇する事はない。1人1000円の経済効果レベルで会社がバイトの賃金を上げるわけがない。儲かった大会社でさえ賃金上昇は抑えてボーナスで帳尻を合わせようとする企業もあるぐらいだ。

つまり、プレミアムフライデーを支えるのは働けど賃金が上がらない低賃金労働者層のサービスが多い、という事。大企業を優遇するのはまだ100歩譲ってわからなくない。しかし、選ばれた企業のホワイトカラー(一部ブルーカラー)だけを優遇して、その彼らを低賃金労働者が奉仕する、という構図を国策として導入するというのはいかがなものだろうか。日本国民が完全に国によって二分化されているのと同じだ。国が完全に

「低賃金労働者の皆さん、あなた達は安定職の人達に奉仕しなさい」

と言っているのと同じだ。そして労働者層としては今やその低賃金の方が格段に多い。

 

これは、奴隷制度と同じではないだろうか?ドバイのように働かないドバイ人と彼らの為に働く国外の人、という現代版奴隷制度の2階層状態の超ミニマム版ではないか。

 

トリクルダウンが上手く言って、庶民が潤っていて給料が上がっているなら何も文句はない。わかりやすいのが未だにテレビでは「節約、時短、セルフ」等のやりくり番組が多い、という事。家計が厳しいからこそ、細かい節約、自分で出来る事は自分でやる、という事になっているのだ。優秀なテレビマンはその世相を汲み取って番組作りをしているだけだ。つまり、テレビを見る世帯=庶民=潤っていない=トリクルダウンが起きてない、という証拠だ。数字でも出ていないのだが、数字に関して言えば日本はアメリカのように細かく客観的に公発表が少なく、結論ありきな操作系数字が多いので信用出来ない。メディアは社会の鏡、というのがこんな所で役にたつ。

 

プレミアムフライデーで楽しくやっている人達、それにまつわる家族という、国策で優遇されている数少ないヒエラルキーの層をフューチャーするよりも、そんな彼らを支える、搾取されるばかりの庶民層の存在。彼らだって日本人だ。ここまでの区別、差別を受ける必要が本当にあるのだろうか。

 

そんな事はちょっと社会を俯瞰して見れる人なら誰だってわかっていることだ。しかしメディアがだんまりを決め込む事で、自分の事しか考えられない人達はその不都合な真実を見て見ぬ事が出来るようになる。考える必要もなくなる。

 

なんでこんな事になっちゃったんだろうなぁ。政治家も選挙で選べるはずなのにね。

 

社会のせい、政治のせい、って言わないでね、という風潮

ネットで良く見かける、この自己責任論者。果たして本当にそう言い切れるだろうか。

 

先のエントリーで今の税金搾取システムがせっかく立ち上がろうとする低所得者が這い上がる事を限りなく制限するものである事を説明した。これを作ったのは政治家であり、原案作成、システム設計は官僚だ。その人達は社会が生んだものである。そして問題は社会を形成する庶民がそうした事に対してどこまで責任をもって「よりよき社会を作る為の新税金システムだ」と自信を持って言えるか、という事。つまり、多くの人は自分にとって関係無い事に対して

・見ない、見ようともしない、考えない

のが当たり前になっており、それこそが「社会のせい」という主張の根底だと思う。これは第二次大戦時の日本社会も同じであり、本土空爆を受けるまでは戦争は遠い太平洋で起きている、自分に関係無いぐらいに思っている日本人が多かった、というのと似ている現象だ。最低所得者の事など自分に関係ないから考えようともしない。為政者達はそうした日本社会を知っているから庶民が気付かない所から細かく税金、補修費などで金を集める。

 

身近な例を上げてみよう。

 

表:ペット(犬)のトリミングを発展させて飼い主とペアのようにする事が流行っています(マスメディア)→その時々で流行りの犬(血統証)がブーム→購入者は色々な服を着せて散歩→周囲「かわいい~!」→飼い主満足

裏:ペットの殺処分率はG7の中で日本は突出している現状

エクスキューズ例:ペットを捨てる人が悪い。私は家族同様だからそんな事はしない

本質:流行りの血統の犬に群がる事がビジネスの拡大に手をかして殺処分を助長させている。自分が殺処分に手を貸している側である意識が無い。

 

表:生活保護不正受給者のニュース(マスメディア)→ネットで生活保護者を叩く→金があっても給食費未払い者がいるニュース(マスメディア)→家庭で話題に→給食費を払わないでいい生活保護者も混合されて学校で差別対象→生活保護を受けるべき人も受けづらい状況→自治体も限られた予算の中、申請者を見下してもいい、という風潮が生まれる(後押しするネット世論

裏:親を選ぶ事の出来ない子供の貧困層の拡大が止まらない。

エクスキューズ例:在日などが特権を得ている。不正受給者が多いのも事実だ。働けるのに働かないのが悪い。

本質:受け皿の狭さを作っている社会システム(年齢制限等)の問題と貧困問題、子供の貧困問題等が混合してしまっている。逆に言えば真剣に問題を自分の事として考えていない。

 

自分の事として社会を考える事をしない、考えない人に結構見受けられる共通の考え方として、人間社会である限り、必ずズルをする人、団体、会社があるという現実をなぜか知ってるはずなのに業務システムのバグのようにそれらを突いて自分を正当化するきらいがある、という事。自分も含めほぼグレーな世界なのに、自らの主張を正論とする時はなぜかゼロイチ発想で語ろうとする。そしてそれは白黒の場合だけに使われ、相手を責める時にのみ使われたりもする。

 

先の例がすべてマスメディア発信である事に気付いたと思う。マスメディアだけが悪いわけではなくメディアとは社会の鏡である。社会が欲しいと思うモノを提供しているだけで、そこにクライアントが付く。それが社会というシステムだ。

 

「社会のせい、政治のせい」

 

その重みを社会の構成員としてどこまで把握して、勉強しているか。そこまで求めないでも、わからない事、知らない事に関してイタズラにメディア情報、著名なコメンテーターの言葉、見知らぬ他人のブログ内容だけを信じて、自ら考える事無くただ弱者を責める、そういう行動を止めるだけでもかなり日本社会は変わる事だろう。

 

ただ、これも理想論であって、現実はそうではないのでせめて自分は加担しないように心がけたいと思う。

 

 

底辺から脱出出来ない日本のシステムを知った

私もなんとか底辺から脱出したいわけですよ。なので大学生以来のバイトから始めてみたわけです。

 

びっくりしました。月に88,000円以上稼ぐ事が3ヶ月続いたら社会保険に強制的に入らないとならない、と法改正されていたんですね。仮に東京都の生活保護での住宅補助費上限は53,700円。これを最低と考えると

家賃:53,700円

水道光熱費:1万円

携帯(格安SIM等):3,000円

食費:1万円(最低で)

合計76,700円

社会保険14%:12,320円

介護保険料:約6,100円

差し引き:96,020円

ここに住民税が住んでいる場所によってかかってくる・・・。

 

あれ?頑張ってバイトしてもマイナスになるじゃん。こう書くと、「もっと働いて稼げや」という共感能力も想像力も無い、視野の狭い人がいるので言っておくが、40歳を過ぎて月に88000円しかアルバイトで稼げない人はそれ以上稼ぐ事が出来ない、つまり必然的にそういった生活になっている事も多いのだ。

※数年うつ病で離職していた、専業主夫(婦)で離婚をして始めての就業など。珍しい事ではない

40歳を過ぎたらバイトなんてほぼ肉体労働しか無い。そうなるとバイト数を増やして稼ぐのは肉体的にも精神的にもかなりキツイ。バイトの枠数を増やすか自分の単価を上げるか。そういった選択肢やその他色々ビジネス経験があれば考える事も出来るか、多くはバイトの数を増やす、という選択になる。しかし、中年では体力がそれなりに無いと厳しい。そうなるとまず貧困から脱出する事は出来ない。

 

この数値は都が決めている最低の生活の基準として数値をいれているわけで、自分で稼いでいるのに娯楽を何もしない、食べたいモノも生命維持の為しか食べない、という生活を人間が出来るわけがない。貯金どころか家賃の更新料も住民税も払えないような生活(基本収支マイナスになる)を強いる制度が出来た背景には最下層の人間達の事を考えない、考える事が出来ない人達が制度を作っているからだろう。88,000円しか稼げない人は家賃38,000円ぐらいの風呂なしに住めばいい、という事だとしても、肉体労働者が30日通ったら家賃にプラスして5万円くらいになる。つまり、8000円ほどしか浮かない。やはり人間的生活ができる数字ではない。なぜこんな事になったのだろう。

 

私はセーフティーネットとしてのアルバイトの雇用保険を否定する気はない。ただ、アルバイトは短期雇用が基本となる事が多い為、失業保険支給条件である、加入期間12ヶ月というのはあまりにも酷だ。なんの為にアルバイトという自由のきく雇用を選んでいるか、という事になってしまう。例えば夏だけ3ヶ月海外で働く、という事をした場合、雇用保険は切れてしまうのだ。つまり、掛け捨て。他人の為に払っているのと同じだ。これではアルバイトのセーフティーネットの役割を果たさない。3ヶ月以上8万8千円で加入であれば、同じく非正規雇用者は3ヶ月以上払えば失業手当を出してもしかるべきだ。正社員とは違うのだから。そうでないと立場も雇用も不安定なアルバイトのセーフティーネットになりえない。

 

取れる所から取る。その理屈もわかる。高給のサラリーマンなど、働いている理由がわからなくなる程の税金を取られるから、この件に関して他人の事など考えていられなくなる程の理不尽さを感じていると思う。しかし、世界の優秀な学者達の調査でもわかる通り、貧困は連鎖していき、決して本人の責任だけではない。逆に本人の責任だとしても、なんとか這い上がろうと狭い知識ながら頑張ろうとしている人達を完全に意味の無い搾取で強制徴収して手取りを減らし、ギリギリの生活しかさせない日本社会の怖さ。

 

この国が介護保険が始まる40歳以上の雇用が不利にならないような、年齢制限の無い国なのであればまだ少しわかる。底辺から這い上がるチャンスが色々あるわけだから。しかし、国の機関である自衛隊や警察でさえも年齢制限がある国だ。42歳でも武井壮ほどの体力があれば30歳の不摂生な隊員よりも動けるはずだ。そうした個人の最低限の部分でさえも「年齢」というハードルで切ってしまうのがここ日本だ。つまり、なんらかのやんごとなき理由で月88000円のアルバイト生活しか出来ないような中年はもはや働くのではなく、生活保護に頼った方がいい、というよりは、そうじゃないと独りで生活は出来ないシステムになってしまったのだ。しかし、生活保護は申請した所で簡単には受け入れてもらえない。その先はホームレスか死しかないのではないだろうか。もしくはずっと肉体を酷使する労働を増やしてギリギリ生活を続けるか。

 

酷い。あまりにも酷いシステムだ。これでは中年は一度道を踏み外して底辺に陥ると余程の事がないと二度とまともな生活が出来なくなる。

 

まあ、税金の徴収システムとは名目上は国民の為、となっているが一番巨大な利権なので、発言力も社会への影響力も無いこういった底辺層への搾取は一般的生活が遅れている国民の見えない、気付かない所で行われているわけで、人間が作った社会システムである以上仕方のない部分なのかもしれないが。

 

それにしても、だ。まるで年貢を収める奴隷制度と同じだ。お米が取れない時(体を壊す、飢饉等)でも年貢額は下がるが収めなくてはならなく、働けど村人はジリ貧で労働するだけの生活。現代でもなんら変わらない社会のピラミッド構造。

 

これが人間という生物なのね。なんか悲しい。

アムウェイに勧誘されちゃった。久しぶり。

20代の時には結構あったアムウェイの勧誘。久しぶりに会いました。まさかの相手だったのでびっくりしましたけど。

残念なのは私がアムウェイのビジネスモデルを精査できるような人間に彼からは思われていなかった、という事。別にやっている人を否定する気もないが、これだけストイックに自分の人生やり直しで頑張っている人間が、そんな事に乗っかるわけないのに。いや、その惨めな姿が隙となって付け入らせてしまったのかもしれないけど。20代の時に散々様々な人達に勧誘にあって、色々知っているのにね。惨めな世間を知らない中年に見えたのかしら。それであれば私に問題がある。

面白かったのが、クロージングの言葉が20年前と変わらなかった、という事。

「こんな話をするのは人を選ぶ。底辺さんは僕が一緒にやりたいと思ったから。」

「一度栄養成分の話だけでも聞きに来るといいと思いますよ?」

という趣旨の話。ああ、懐かしい!アナタは特別、という認知欲求を満たす言葉。そしてセミナー等で説得の上手く、ダイヤモンドプレーヤー的な人を紹介する事で、夢を見させる手法。変わらない!という事は、これがうまくいっている手法という事ね。

 

もう一度言いますが、別にマルチをやっている人を否定する気は無いのですよ。私が嫌なのは、今から下位の人が大学生の小遣い程儲ける事ぐらいでもかなり厳しい確率であること、しかし、上位グループメンは勧誘だけでも報酬がある等のシステムの根幹の説明をせずに人を勧誘する、というやり方。そして「100人以上断られる」という事を当たり前に思っている神経、つまり100人の少なくとも知人を自分の目的の為に嫌な気持ちさせる、という事。この2つが私の生き方の信条に合わない、というだけ。この信条は自己分析をすると、幼少期から変わらず言動や選択にあらわれているので、単純なマルチへの先入観の独善ではないのです。

とはいえ、私も完全な人間ではない。色々他人に迷惑をかけているし、不義理な事もたくさんあるだろう。でも、それを当然として行う事は違うと思う。その先にあるのが飛躍するが、民族間戦争のようなものだと思う。自分達(グループ)の正義があれば、他グループを排除していい、利用していい、という感覚。それって極めて人間的であり、それはそれで愛おしい存在ではある。

 

まあ、それほど他人から惨めに見える事を嬉しく思うようにしよう。やっとしっかり底辺が身についた、という事だ。

人生やり直しって出来るかもしれない 2017年これから。

何もかも失って、最愛の人にも見捨てられ。自分自身が存在している事が嫌になって酒におぼれてアル中になって。そんな私が立ち直ろうと思ったきっかけは私を手痛くフッた元彼女の結婚&妊娠だった。約10年近く付き合ったが、別れて1年も経っていなかった。その時私が思ったのは

「私は完全の彼女の意識の中から存在が消えた。無になった。」

という事。その切替と前向な姿勢。それこそが彼女の良さであり、私が好きになった部分だった。そして私は長年の付き合いでそんな彼女のいい部分を潰していた事に気付いた。色々な挫折、失敗は私自身の人間性に問題がある。そう思ったのだ。人間性というのは教養である。つまり、体験、経験によって形成される。私は自分の過去を遡った。やはり幼少期からのトラウマというか、心の傷が影響している事に帰着する。では、そういった過去を塗り替えす経験をすれば教養も刷新されるのでは?というのが私の仮説だった。しかし、幼少の頃に戻って甘える人を探すのは単なる精神的な甘えん坊に戻るだけだし、そもそも幼少期まで戻ってしまったら成長するための選択肢を選ぶ人間性まで幼少になってしまう。そこで私は大学生ぐらいをターゲットにした。幸い、大学時代から住んでいる駅は変わっていない。その感覚を取り戻す事が出来るはずだ。

 

20歳から飲んでいて、アル中で浴びるほど飲んでいた酒をきっぱり止めた。もう2年になるだろうか。一滴も飲んでいない。私は酒を飲めない人は人生の半分を損している、と公言していた。しかし、今はそんな事は思っていない。体質的に酒を飲めない人だっていて、そうした人はしっかり楽しい生活だって送っている。私は断酒をしなければその価値観を知ることが出来なかった。

頑張ればおっさんでもそれなりの会社で役職に付けるほどの経歴と実績はあるのだが、あえて肉体労働のバイトをしてみた。今も続行だ。これは大学時代はバイトしていたからだ。今その立場になって再度自分の経験をなぞってみようというのが魂胆。

私は金で金を稼ぐ証券に興味もなければむしろ憎んでもいた。また、金に対しての執着も無かった。実際、サラリーマン現役時代には1000万円を親会社に投資していてその会社が倒産して、0円になった事もあったが、正直実感も無ければ金を失った、とう感覚もなかった。悔しくも無かった。今あの時の1000万円があったらなぁ、と思う事もあるが、まだ損失感は無い。この部分はまだ改善が必要だが、余裕があったら証券で稼ぐ事もやってみよう、と考えが変わってきたのは自分の中で大きい。

完全主義が少しだけ緩いだ。というのも、色々な完全主義、正義感がこじらせの問題の一つでもある、と気づく事が出来た。ずっと最前線を走っていたら気が付かなかったと思う。

他人への寛容さが出来た。底辺生活をすることで人間は自分も含めそんなに変わらない事に気付いた。

課題も多い。

大学時代、ほとんど勉強しなかったのだが、今も勉強がそこまではかどっていない。改善が必要。

他人の感情への共感能力が高まった事によって、善意や悲哀等を感じるだけでなく、自分に関係無い部分への悪意さえも感じる事が出来るようになってしまい、これは結構辛い。

 

底辺生活の始めは自分で思わぬ部分でイラつく事があって、「あ、これがプライドというものか」とびっくりした事もあった。例えば、電話の受答え研修をさせられてダメ出しを受けた時。(俺は100人を超える正社員達を教育してきたのに、24歳のお前にダメ出しを食らうのか?)みたいな。これが無駄なプライド。実際に上手くやろうとして緊張した自分はしっかり出来なかったわけだから。恥ずかしい自分、出来ない自分を隠す為に無駄なプライドというのは生まれ。また私は出来ない人へ寄り添った教育が過去に出来ていなかったなぁ、という事も知れた。そうした無駄な自分潰しと過去の自分の反省を繰り返して、人生で通った教養を刷新していく。

 

年齢という壁はあるけど、そこは今更仕方ない。ただ人間性を変えていく。その為に人生をやり直すということは意外と出来るかもしれない、と今は思っている。