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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

蛭子能収の著書「ひとりぼっちを笑うな」が売れている件に物申す

編集者が考えたのだろうが、決して「ひとりぼっち」の話ではない。友達なんていらないんじゃね?という話だ。そう、家族は必要なのだ。

以前、彼はこの本のプロモーションの時に、前妻が無くなった直後からすぐめぼしいファンの人に声をかけまくったと話していた。それは1人は寂しいから。「そりゃ、家族は必要ですよ、家族がいれば友達とかいなくていいんじゃないですか?」と語っていた。しかし、この本のタイトル。明らかにターゲットは本当に「ひとりぼっち」な人達、もしくはそうなるだろうと思っている予備軍の人達だ。まったくふざけている。

 

もちろん、蛭子能収がこんな狡猾な騙し手法のタイトルを思いつくとは考えられない。ネットニュースの記事タイトルに近い、これらの「嘘はついていない」系の、見た人間がおおよそ想定するだろう誘導タイトルを専門に考える人達がいる。まあ、今回はそういった人達の事は別によくて、私がからすれば妻がいて子供がいる人がひとりぼっちではない、という事だ。

もちろん、結婚していても孤独である人は沢山いる。側に人がいるからこそ感じる孤独もある。しかし、この本を購入した、しようと思っている多くの本当のひとりぼっちの人はその相対的に感じる孤独さえもないのだ。家族がいて孤独を感じる事が出来る人はそれだけで恵まれている環境なのだ。

 

それでは、現在家族がいなくて人生を謳歌している人で「ひとりぼっち」な人に本を書かせれば良かったのか、となるが、それはそれでまた違う。そういう人の多くは金と仲間に囲まれており、こうなると逆に蛭子能収の言う「家族がいればそれでいい」の逆の、違う意味の「ひとりぼっち」ではない状態になる。なるほど、では友も持たず、孤高の人がこういった本を書いたら売れたのか。それはそれでまた違う。そういう人もいるのだが、まさに仙人のようになってしまい、ほとんどの常人は真似が出来ない。そう、ここでこの本の罪が明らかになる。

 

こういった本を読もう、買おうとする人は実は「ひとりぼっち」が嫌な人が多いのだ。誰かに理解されたい、側にいてほしい、できれば愛してほしい。そんな願望が現実的に叶えられないと思っている中、ひとりぼっちだっていいじゃないか!と自己肯定をしたいのだ。自分ぐらいは自分を認めてあげたいのだ。しかし、この本の著者はしっかり愛する家族に囲まれていて、そこが最大の違いであり、読者への最大の裏切りなのだ。

 

ひとりぼっちは本当に辛い。蛭子能収だってそう言うんだから確かだ。孤独から孤立にまで状態が進捗してしまった人、特に中年以降は年齢差別が普通の日本で復帰はかなり難しい。そんな現状の中、こういった本を出す事を画策した恵まれた環境の人達、そしてまんまとひっかかってしまった孤独な人達。真の孤独者である私はちょっとだけ、憤っているのです。ほんのちょっとだけ。

 

孤独な人達はなんで生きているかわからなくても、誰にも迷惑をかけない自殺方法がみつからない限り、生き続けるしかないのだ。しかし、人間には寿命があり、結局孤独死でも餓死でも他人に迷惑をかけてしまう。逃げ場がどこにも無い。ひとりぼっちを笑う?当人にも社会にも深刻な問題であり、家族持ちの恵まれた人間が下手に扱っていい問題じゃない。