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底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

為末大氏のオリンピックのメダルに対してのツイートが話題になっていたので

話題になっていたのが以下の内容。

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税金を投入したのにメダルが取れなかったという議論の恐ろしいところは、税金が使われていない人間などいないわけだから、すべての人が税金を使われただけに見合うリターンを国家にもたらしているのかという発想になる。

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大体メディアやネットの反応は以下に集約されていると思う。

・オリンピック選手に対する話。予算を受け取る側の責任とか頑張っている人、みたいな

・税金を投入されるリターンが無いと断定される人達との比較。生活保護受給者や肥大化した議員定数など

 

私が違和感を覚えるのは、どれも為末氏が言っている事とズレている事だ。すべての人間が税金を使われただけに見合うリターンがあるべき、という事が真である場合に、税金を投じたのに・・・、という論理が成り立つのであり、それは恐ろしい事だ、と言っているのだ。字面そのまま。しかし、そんな事は絶対にありえない。であれば、金額でリターンを決めるのだろうか?その金額の基準はどのように定めるのだろうか?低投資高リターンがベストなのは言うまでもない。しかし、そんなうまい話ばかりでもない。そうなると現実的に税金を受け取る当事者にそれなりのリターンを求めるという事は土台無理な話、という事になる。これが無理な話にならない、と思っている人はオリンピック選手と生活保護受給者をピンポイントで比較して話すからだ。そんな偏った話ではなく、日本国民の大多数である、一般国民、特に自分を当事者として考える必要がある。

自分に今まで使われてきた税金(間接的な額も含めて)と同額の一般人とくらべて、それに見合うリターンと国家にしてきた、と胸を張って言える人がどれだけいるだろうか。そもそも国家にリターンをしよう、と考えて生きているだろうか。社会に貢献する為に人口を増やし、ダイバーシティ化を目指して日々努力。ただ生きて納税しているだけでも貢献だ、という人もいるかもしれない。しかし、今まで自分に使われて税金と同額の人で高額納税者になった人と比べて国家に対する貢献度は低い。逆に納税額が低くても子沢山の家庭を作っている人の場合、独身の人は多少納税額が高い程度では使われた税金に見合った国家へのリターンという点では弱い。

結局、税金を受け取る当事者の問題にする事は理論的に意味がなく、配分する為政者の問題にすべき事なのだ。そう考えれば、

高齢者に対する多額の税金投入も、長生きした高齢者を批判する意味はなく、金をバラまく政治家を責めるべきであり

生活保護受給者を責める意味はなく、最低労働賃金年収よりも高い保護費のバランスを考えるべきであり(必要なら仕方ない)

メダルを取れなかった選手を責める意味はなく、予算配分に対する効果測定を考えるべきであり

 

つまり、税金に対しては自分自身こそが当事者なのであり、その額の大きさ云々で自分よりも恵まれている、優遇されている、と妬み嫉みで批判したいとしても、それは受け取る当事者に向かうのではなく為政者に向けるべきであり、その結果が選挙でありそれが民主主義なのだから。

 

社会をつくっている根本的な当事者である意識が希薄な人間が多い日本だからこそ起きる話題だなぁ、とつくづく思う。