底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

底辺に落ち込んだ私がなぜまだ自殺していないのか。(川の底からこんにちは)

言葉で説明は難しいので、作品でその時の状態を説明したいと思う。

時系列を数字で表すと、古い順から

1(絶望期)

2(退廃期)

3(這い上がり期)

4(底辺期)

5(底辺期2、現在)

という感じかしら。1~5まで通して、以前紹介した漫画「ホムンクルス」状態。なので今は他人を有機物として感じるようになっている。年齢は関係なく、時には性別さえも関係無い、個の「人間」としての存在がそこにある、という感じ。その個体差は感性や考え方、人との接し方等様々な分析の上にあり、その中でも私が強く惹かれるのは悪意であり、その悪意の種類、表現方法等がその人を個として表している、とも言えると考えている。しかし、これらの考え方を会得するにはあの漫画のような、自分や他人と向き合う辛い時間を経ないとならない。しかし、それでは自殺に至ってもおかしくない。そういう意味ではホムンクルス状態は3の無い、4,5,とも言える。

 

では、2から3に至る時の私の思考は。

もちろん、2の時は自殺を考えた。しかし、私の性格上他人に迷惑をかける死に方はしたくない。様々な方法を考えたが、死体を発見した人にトラウマを残したくないので、一番の方法は海外で、海の真ん中もしくはジャングルで死ぬ、というやり方。それには金がかかるのと準備に時間がかかる。生きる気力も無いのにそんなモチベーションがあるわけがない。そこで気がついたのが。

・今、私は死んでいない=生きている

という事。死んだも同然、と思っていたがそうではなかったのだ。単純に2分けしたら、私は生きていたのだ。ならば、生きる為に思考すべき、と考えた。

1日にワイン1本、ビール2,3リットルという大量飲酒をして現実から逃げていたが、スパッと断酒(今も続いている)。そして自分と向きあってみた。

1(絶望期)を少し説明すると、会社での業績、評価こそが自分、という自分の人生の幸福を考える事が出来なかった私は、昔から友達がおらず、彼女がベストフレンズであり、理解者であり、それだけでよかった。会社も失い、彼女からフラれたしまった私はもはや何の価値もなく、自己肯定感を満たすものは何も無かった。しかも、世間からは年齢で全て判断されるので、私の人間性は関係なく否定される。自分の人間としての存在が「無」になったのだ。本来ならここで自殺するのだろう。

 

さて、3(這い上がり期)の話。周りを見渡しても現実も私は底辺だった。しかし、まだ自分には少しプライドがあった。それなりの人生経験を積んできた、という挟持だ。その時ぐらいに始めたのブログのタイトルがそれを表している。だが、おかしい。それが事実であれば私はなぜ彼女にフラれたのだろうか。なぜ世間はここまで私を無視するのだろうか。答えは簡単だった。

・私は本当に底辺の人間である、という事実

それだけだ。この状態は映画「川の底からこんにちは」の冒頭の主人公に近いかもしれない。自己を否定され続けた人間は自尊心を無くしてしまう。この時の私は自己評価がゼロだった。電車の中で生活を感じる他人を見て自然と涙がボロボロ出る事もあった。

しかし、ここで「ホムンクルス」が出てくる。もともと人間観察が趣味でもあった私。様々な人を観察していくと、案外、切り方によっては人間とは同じような存在である事に気付き始めた。それは人間の歴史が証明している。なるほど、自分だけが信じていた彼女からフラれるべき、最低の人間なのではなく、人はそういった部分(私のある思考的には)では等しく最低な部分がある、と思ったのだ。年齢で人を判断したりする社会はそれを構成するレベルの人間性を集合と考えれば、皆何かしら不都合な部分があると。つまり、それは「人間」という事だ、と。

そうなると、自分だけが底辺=不幸=自殺、という理屈が通らない。なぜなら、皆同じ人間なら、皆不幸な部分がある、という事になるからだ。であればどうするか。ここで再び映画「川の底からこんにちは」で説明すると、後半。自分は中の下(私は自身を底辺と考えているが)だが、所詮周りも中の下。だから頑張るしか無い。映画では実際に行動する事道筋があるが、私の場合はこの過程が精神内で起こる事が大事だった。注意が必要なのは、「他人も同じ=見下す」ではなく、映画と同様に、自分も社会に属している(自分も同じ人間である)、という自己で自己を肯定する理屈を構築する事なのだ。

 

そして今、5(底辺期2)。漫画「ホムンクルス」のような他人への目線と、映画「川の底からこんにちは」のような自分と他人への理解。それが今の私の精神を支え、自殺まで追い込まれても留まる事が出来た理由だと感じている。後は、自分の精神を尊重しながら、年齢と離職期間で判断する社会とどう折り合いを付けていくか、だ。

友達が出来ない、人付き合いも出来ない。しかし、彼女さえいればそれでいい、と思って生きてきた私には今は真の孤立状態だ。今後性格がガラッと変わる事を期待するよりも、丁寧に過去の自分を分析して表面に出ていない深層の欲求と向き合って現在を踏み勧めなければ、と今は思っている。

 

生活保護をもらっている人よりも遥かに低い収入で生きているが、その分自分と向き合う時間はたっぷりある事は貴重な時間だと思っている。