底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

マスクを付ける理由第一位は44%、他人の目

報道などでは

・この同調を利用する事でコロナ感染を防げている

・しかし、同調圧力になると行き難い社会になる

などという。問題はそこではない。日本社会が自分で物事の善悪を考えない「癖」が付いているという事。だから若い人達の小さなDJバーなどのイベントではほぼ全員知り合いみたいなもんだからマスクをしない人達が多い。マスクはウィルスを防ぐ事は出来ないが、自分の飛沫をなるべく(完全ではない)飛ばさないようにする、という事を理解した上で、

・他人や店に迷惑をかけないようにするか(自己の善悪の判断)

・仲間しかいないから気にしない(都合解釈。善悪の判断は保留もしくは思考停止)

になる。この解釈だと色々説明が付く。善悪など判断せず、考えず、「皆がやっている」「皆がいない」が唯一の行動の判断基準という日本社会の考え方だ。庶民の行動にそれは現れる。

善悪の判断が出来ない例

・多くの著名人が自殺されてもSNSでの直接誹謗中傷が止まらない→加害者は社会ではモデルケースの人生を送っている人が多い。周囲の目が無ければ善悪の見境が無くなる

・減らないBBQ等での不法投棄、その他無人キャンプ上、公園での破壊行為→周囲の目が無ければ善悪の基準が無い、欲望の爆発

・早朝夜、もしくは路地に入った途端に路上喫煙する→人の目が少なければいいという、法律の意味を考える事を放棄

・年齢や性別等の差別→そのコミュニティーで力あるクラスターが人を見下す事をなんとも思わない→マジョリティー=目であり、善悪など考えない

 

これはマスメディアや学校、家庭が一定の正解を与える社会を形成している弊害だと考えている。昭和の時代から変わらない、いや、第二次世界大戦時と変わらないやり方。学校や家庭で学ぶ最初の理不尽は多分、物事を深く議論するのではなく、とりあえず暴力はだめ、だろう。戦争は暴力ではあるが侵略の罪に問われるようになったのは近年だ。しかし、そこに加入していない国もある。ならば個人同士でも言葉足らずの子供が喧嘩した時に手が出る事もあろう。それはそれで別に話をするとして、まずは紛争解決の為の真相究明などされた記憶がない。マスメディアでは未だに「今どき男子」「なんとかガール」などと決めつける。SNSではバズる為に皆と同じ事をする若い人がわんさかいる。思考停止。人はそれぞれ多様性があるのに、それは表立って出る事は認められない事と同意。そこで影で押さえつけらた「無視されている自分」が影を暗躍する。そこは暴発であり善悪の判断基準が無い。

SNSでの誹謗中傷→個の憂さ晴らし。スルースキルが無い人間の方が悪い、有名税だ、という非論理的なエクスキューズ付き

・減らないマナー違反→そこの集団すべてが悪事を積極的受け入れる確率は低い。共感は悪事についてではなく、他人の目がない所で自由にしたい、する、という個の暴走

・差別→認識していようがいまいが、自身の人間性も否定されている社会の中で他にも公平性としてそれを求める権利がある、と勘違いしている無視されている個に対する慰め(皆そうなんだから。そして、自分もそうだから)

 

なんか残念。周庭(アグネス・チョウ)さんと違って日本では言論の自由が認められているし、選挙権もあるのにね。自分たちで政府と権力者(マスコミ、資産家資本家)を頂点とする封建社会を作っちゃってる。それがトリクルダウンして庶民レベルでも車を乗っている人のあおり運転(車の動力=力)、カスハラ(怒鳴る=力)等、力を勘違いして弱者を虐げる。

 

悲しいね。