底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

そろそろ自己責任論についてまとめてみようか

今回のイスラム国の湯川さん、後藤さんの拉致事件。自己責任を唱える人とそれに異を唱える人がネットで色々発信していますよね。

 

自己責任を唱える人は、

・危険な場所とわかって行くわけだから、何があっても責任は自分にある。

ざっくりいえばこういう事。

異を唱える人の論は

・仲間を助けようと思わないのか、という同胞意識論

・命は大切に思う気持ちはないのか、家族や友人の気持を、という命尊重論

戦場ジャーナリストの行動を切り捨てるような発言はいかがなものか等の安全地帯にいて死について軽はずみは発言をする人達への非難論

 

ぐらいかしら。

これ、無理ですよね。解決。だって、「論」ってそもそも推論の導く上での過程が人それぞれなので議論になるものなのに、今回の自己責任論での色々なやり取りを見ると、議題が違うんだもん。これ、ずっと平行線ですよね。

 

行動に対する自己責任論を追求するのであれば、様々な判例を持ってその論者の思想を追い込む事も出来ますが、多分、最終的な自己責任の帰着点は「生まれた時点で決まる人生への責任」という事になってしまい、結局哲学的な話にならざる負えなくなってしまうわけで。そんな議論はネットでは無理ですし、誰も得しないですし。

 

なので、私は反論する気もありませんし、ちょっとエクストリームな発言を匿名だからと言って吐き続ける人にもなんとも思わないです。関心はどれだけそういう人がいて、そういった集団意識が社会にどういう影響を及ぼすか、ということだけです。確実に思想の固まっていない人達を巻き込む事になるので思わぬ影響があったりします。

過去のエントリーでは多分、感情的に書いたのもあったような気がします。自分の中で結論が出ていない中、攻撃的な文字列を見ているとその毒に反発というか、抗いたい気持が出てしまって過剰反応してしまうのはまだ私が情緒的に未熟である証拠ですね。そこは反省部分です。

ちなみに、私は命尊重論を選択しました。