底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

幸せではない底辺層中年こそ、閃光少女のPVを見るべき

東京事変に「閃光少女」という曲があって、これはCDではなくDVD映像のみでリリースされた。それが最近映画「ちはやふる」関係のアルバムに収録されていた事で久しぶりに映像を見なおしてみた。オンタイムで見た時の感動はそのままだった。問題は何に感動したのか、という事だ。

 

映像は2人の美少女が踊っている。それは椎名林檎の歌詞とあいまって、いかにも閃光少女が文字通り、若い人向けの内容のように思えるかもしれない。しかし、当時も今も、私からすれば若い時のようなハラハラ感、疾走感、今を生きている感というのをしっかり自分への叱咤激励として受け止めて感動しているのだ。

つい最近、結婚して子供がいる私と年代の違う人が「30代になると自分にプレッシャーを与えるような事が無くなるじゃないですか、だから云々」と言っていて「ハイハイ」と聞いていたが、私は30代の時であっても自分増々強いプレッシャーを与えてチャレンジしていた。そして今でも不安定で未来も無いがそれでも未来を作る為に足掻こうと色々画策している。行動している。それはなぜか。幸せな事が何一つないからだ。家族もいなければ恋人もいない。いわゆる他人からすべれば無の存在。そんな社会から孤立した中年だからこそ、自らの幸せは自分で決め、その為には刺激、プレッシャーを与え続ける必要があると思うのだ。

成長過程のアイドルや萌アニメを応援して自分自身が疎かにになる中年は今がそれなりに幸せで、自分が出来ない事を他人に投影している。「もう自分はこんな歳だからチャレンジ出来ないけど、彼女達は・・・」的な。そんな発想でアイドルを応援している全ての孤独な中年は「閃光少女」のPVを見て、あの画面の少女と歌詞は自分の事を描いている、と思った方がより成長できるのではないか、と思う。

年齢なんて関係ない。自分の可能性を自分で閉じる必要はない。どうせ日本は年齢で人を判断し人格否定する社会だ。そこに自己否定が加わると中々ぬけ出すのは難しい。

 

だから未来なんて関係ない。今を生きる。五感を研ぎ澄まして。立ち上がるのだ、孤独な中年よ。

 

なんてね。