底辺の見方、上からの見方

日本社会の底辺層のモノの見方、ちょっと上の層のモノの見方のお勉強

CMから降ろす、発言は問題なのか?

大前提として、日本でCMに起用されるタレントは企業のイメージアップに利用される為にあり、なので、CMから降ろすのも起用するのも企業の自由。

 

という事はあるのだが、ここで話したいのは「責任」という事。

例えば、アメリカでは有名なタレントは車やジャンクフード系のCMに出る事は無い。なぜなら、車にリコールが合った場合。「あなたがCMで勧めているから購入したのだ」と訴えられるリスクがあるからだ。太って病気になった場合も同じ。「スリムなあなたがCMやっているので問題無いと思ったからだ」と訴えられる。つまり、企業だけじゃなく、庶民に陽動する広告塔としてのタレントにも責任がある、という事だ。

 

私はこれは当然な事だと思っている。だからこそ、タレントはリスクある企業のCMはやらない、つまりその分の収入は無くなるのだが、その分、自由に政治的発言が出来る。逆に、その政治的発言に賛同する、訴訟のリスクの無い企業(ファッション系など)はそのリベラルイメージ等を利用しようとしてCMタレントとして起用する。これこそ企業とタレントが対等な関係。

しかし、日本では違う。海外のタレントも訴訟リスクの無い日本で車のCMをガンガンやる。バカな庶民は「あのタレントが宣伝しているから」と購入してしまう。真矢ミキの「諦めないで!」のCMでどれだけの人があの化粧品を購入しただろうか。彼女の宣伝無しにあれだけ売れる事はなかった。消費者は企業よりも真矢ミキを信じて購入したのだ。しかし、それで皮膚被害になった。その時に真矢ミキは宣伝しただけ、という事で責任はない、というのが日本だ。そんなむちゃくちゃな論理がありえるだろうか。消費者は商品だけでなく、タレントイメージも込みで購入したにもかかわらず。しかし、そのむちゃくちゃ、が日本なのだ。そんな日本でタレントが政治的発言など出来るはずもない。

しかし、ローラは発言をした。そして、TBCはそのローラを広告塔に起用し続けている。これは画期的な事で、費用以外なかなか差が出にくくなったエステ業界に、リベラルな企業である、というイメージを付ける事にもなる。信念も無く何も考えていない人には関係無いが、社会を考えている人には選択肢の決めてにもなるだろう。これはタレントにとっても企業にとってもプラスで、日本が世界基準に近づいた一歩とも言える。

 

多数決で多い方が正義という間違った民主主義を貫いて教育してきた日本では、企業やマスメディア、為政者はマジョリティーのみを向いた事をやってきた。しかし、それを支えてきた人達(庶民)はすでに高齢者。それが通じるのはあと15年~20年ほどだろう。生き残る企業はブランドイメージ戦略をさらに突っ込んで特定の層に刺さるようになるだろう。ライブコマースの成功がいい例だ。それが企業規模になるほど移民も増え、多様性が当たり前のになった近い未来では今の古い時代の日本のマーケティングは通じない。

 

今回の件はそういった時代の変化に対応していなかった企業側、タレント側にパラダイムシフトを促す一石になったかもしれない。競争が今後も激しく、価格競争に陥りがちな業界は、今が商品に関係無い、思想的ブランドイメージを付け、価格競争から外れるチャンス。タレントも事務所制約(権力)からはずれ、個人事務所ではなく、フリーのエージェントを付けて活動するチャンス。そして、フリーエージェントという、事務所に代わる仕事をする仕事が増えるチャンス。

 

と、言いながら、日本社会はそんな簡単に理論的に変わるわけない、と知ってもいるのだが。